生まれて(最初の呼吸をして)から最初にすることは言葉を発することだ。
言葉とは意識的に作り出されるものと、習慣などで無意識に作り出されるものがある。
言葉は重要だ。
言葉が重要だから、それを伝える方法、コミュニケーションの方法も大事になってくる。
何を言葉にするかが重要だ。 その結果、何も言葉にしないことも重要になってきたりする。
それは、すべて心の作用(働き)に関わってくる。
思考され、感じたことをベースに言葉が変化していく。
その言葉と、している行動が違っていると困る。
自分がどんな行動をしているのか無意識で、言葉も無意識に発せられていると、困る。
困るというか、残念だ。 これを無知という。
無知は苦しみの原因だ。 結果、不幸になる。 だから、残念だ。
言葉はそれぐらい重要だった。
感覚器官(5感)で手に入れた情報に対して感じたことが言葉になるからだ。
ナチュラルに生きるとは、何も考えないでお気楽に生きるのではない。
5感で感じたことから何を思ったかを見ていくことだ。自分に対して、相手に対して。
だから、大事なのは5感で感じたことが言葉にされるまでの過程(プロセス)ともいえる。
こうやって、ここで書かれていることを読んだからといって、書き手が理解できることはない。
自分の経験の中に、共感するポイントを見つけて「うん。うん。」と頷いているだけだ。
塩をなめて、渋い顔して、「甘い~っ」という発言に真実はあるだろうか?
表面しか見れない人は、表面的にしか表現できないのかもしれない。
(じゃあ、表現する人はそこを観察することが重要だと逆説的な方程式は成立するのか?)
5感で感じること(原因)に対するリアクション(結果)を観察することが瞑想なのかもしれない。
瞑想している自分を鏡で見ることも瞑想というのかもしれない。
言葉はそれぐらい重要だった。
昔において・・・後に、発言は紙や本などに残せるようになり・・・
そして、さらにテープや音源として残せるようになり・・・
今に至ってはデータとしてネット上に残せるようになった。
発言として。
何千年前の言葉における意味や価値は『真言』などで残っているように、儀式的なものや
呪文的(マントラ)なものとして、強かった。
現代は?
紙、手紙、ノート、本、テープ、CD、DVD、メール、携帯メール、
ブログ、ツイッター、ミクシイ、SNS。。。。。等、など、など。。。
多くの発言を残す場所がある。
しかし、そこに五感で感じた時に見せる表情やしぐさは載っていない。
経験をつめば、予想はつくことが出来るかもしれないけど、マッスグには伝わっていかない。
誰かの発言から、共感できる発言を伝えるような引用もそうだ。
注意しないといけない。
読解力が問われる時代になってしまったのだ。
発言は巡り巡って、自分に振りかかってくる。
マッスグではないねじれた発言こそ、カーブして(曲がって)自分に返ってくる。
輪廻するのだ。
・・・・こわいなう。
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1月に新潟のWSに参加させていただきました。とても解りやすく勉強になりました。もっと学びたくなって2月にYoga HawaiiでTTを受けたら、もっともっと深く知りたくなりました…なんだか止まらないみたいです…近ければStudioへ通いたいけど…今回もブログ読んでまた勉強させていただきます。バリのヨガリトリート?私と他一名参加希望者がいるので、次回あれば参加してみたいです。
では是非また長岡へ教えに来て下さい♪