
昭和20年9月21日夜に神戸三宮駅構内で清太は息を引き取る。
所持品はドロップの缶だけ。
遺体を片付けていた駅員がその缶を放り投げると
中から小さな遺骨がこぼれ落ち、草むらに季節はずれの蛍が舞い上がる
3ヶ月前の6月9日神戸は大空襲に見舞われ、
清太は心臓が悪い母を先に避難させ、幼い妹・節子を連れて後を追う
遅れて避難所の学校に着いた清太だったが、
そこには変わり果てた母の姿が、、、
母はそのまま息をひきとり、
清太は節子と共に西宮にある親戚の家へ移るが、
伯母は次第に清太たちに厳しい言葉を投げつけるようになる
毎日小言を言われご飯も満足に食べさせてもらえない生活に耐えきれなくなった清太は家出を決意。
節子と二人で池のほとりの横穴で暮らすことになるが、、、という
ストーリーの『火垂るの墓』から、
我々が絶対に忘れてはいけないこととは何でしょうか?
広島での原爆の死者は14万人。長崎は7万人。
アメリカによる焼夷弾による大虐殺の犠牲者数は、
空襲の規模や地域によって異なりますが、
太平洋戦争全体では民間人だけでも約80万人が犠牲になったとされています。
特に東京大空襲では、
一夜にして10万人以上の一般市民が犠牲になっているのです。
あの蚊帳の中を舞って翌日死んだ蛍のように・・・
世界には、国際人道法というものがあります。
すなわち、
→戦闘員と一般市民を区別しないといけない
→一般市民を攻撃目標にしてはいけない
→無差別で残忍な攻撃をしてはいけない
と、いうものです。
アジアの近代の歴史で忘れてはならないのは、
欧米列強による植民地化の事実と、
アジア人達を国際的な人としてみなかったという事実。
パッと光って消えてなくなる虫ケラと見ていたのかもしれません。
古代ギリシャ人の悲劇の伝承や、
国を失ったユダヤの民の伝承のように、
そういった我々の苦の歴史は恐怖と共に
語り継がれなくてはならないのです。
それを忘れると、
原子力発電所の暴走に苦しみ、
水を海外企業に買い取られることに苦しみ、
グローバル企業の法人税は軽くなり、
国民は重税に苦しむことになります。
少なくとも、自分は、言葉にはださないですが、
血の涙を流しながら、200年間に渡って記憶するという遺伝子に
この事実を刻む混むこととします。
事実と結果から歴史を学び、
東南アジアから中国、そして日本まで、
欧州列国から受けたペインを刻みこむ必要があると思うのです。
悲劇の伝承は、
我々を普遍的な世界へと誘う。
そんな物語を語るのは、
悲劇の世界へと引きずりこまれて心中した清太だった。
彼は今現在も、神戸三宮駅構内で自分が亡くなる瞬間を観ている。
そして、3ヶ月からの悲劇の物語を永遠にループさせるという
霊となってしまうのです。
生き物の命は儚い。。
蛍の光のようにパッと輝いて朽ちていく。
人の命も同じく儚いが、我々には念が残る。
怨念が、、、
節子の怨念が清太を死に導いたように、
アジアの怨念は何をどう導くのだろうか?
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