ジヴァムクティのティーチャートレーニング中に
何度かシャロン先生が例に出して引用していた話があります。
映画マトリックスからの引用。
マトリックスのネオの話を例にだしてヨガの哲学を話していたのです
マトリックス・・・
確か、マトリックスの#1は日本で見て、
#2はアメリカの映画館で観た記憶があります。
あまりにも、内容と設定が斬新で、狂ったように繰り返し観ました。
インド人はゼロを発見した最初の人々と聞くけど、
サンスクリット語ではゼロの発音を習わなかったです。
もしかしたら、ヨガ哲学やサンキャ哲学などで考えられる、
プルシャと、プラクルティ(自性)との結合(ユニオン)によって現れる
無限大的な”無”をゼロと言ったのだろうか?
数学的には無限大がはるかに増えていくと・・・
3次元が4次元、5次元へとステージ(状態)を変えていく時の
空間のネジレ的なものをゼロを言ったのだろうか?
中途半端な理解ではこの辺が自分の想像の限界だけれども・・・
(ちょっと話はマニアックな方向へずれてしまったので、元に戻します)
マトリックスの世界では、
インターネットの世界(仮想空間)のような世界をマトリックス(数列)と呼んでいる。
数列とは、0(ゼロ)と1(ワン)が作り出すモノで、
これがいっぱい集まって、色を表したり、文字を表したり・・・
すべてのコンピューターの世界はこの組み合わせで出来ているのです。
人間の脳をつないで意識をそのコンピュータの世界内で生活させる世界観をテーマにしたのが
この映画の主なストーリーです。
というより、この地点から始めないと、この映画を理解は出来ないのが悲しい現実。
ヨガのクラスも練習も過去の経典からの知識をベースに意識的に練習しないといけないのと同じように・・・
すべては同じなのです。
主人公のネオ(アンダーソン)は、
この時代の世界を支配している機械達(プログラム達)によって選ばれ、
救世主として仕立てられた存在だった・・・(これは#2のリローテッドで分かる事実)。
ヒロインとして登場するトリニティ。
彼女の名前は日本語にすると、三位一体。
ヨガの三位一体は、ブラフマン、ヴィシュヌ、シヴァの3神を表す。
ただ、マトリックスでのトリニティはどうやらキリスト教よりの引用のようだ。
キリスト教の三位一体は、神と子(キリスト)と精霊を表し、
その3つを1つに合わせることを意味するらしい。
だから、トリニティは、アンダーソンという人を、ネオという救世主(神)へと、
精霊(マトリックスの世界での救世主ストーリー)においてつなげる人の役割をする設定のようだ。
しかし、ヨガ哲学的な話も多数でてくる・・・
マトリックスの機械(プログラマー)達は人類の知識の種類によって苦しんでいる。
マトリックスの世界で人類が安定して意識を置いておける為に、
人類の色々な知識に対応しようとマトリックスの世界を何度も作直しているようだ。。。
PCのウインドウズ95からOS(オペレーションシステム)がヴァージョンアップしているように、
マトリックスの仮想空間も過去に5回ほどヴァージョンアップされているというわけだ。
まぁ、次のヴァージョンにアップするためのリロード(書き換え)をする為に
ネオという救世主をマトリックスが勝手に作り上げているという、
人間が主人公じゃないのか?という、方向へ向かっていってしまうマトリックスだが・・・
その話はさておき、機械(マトリックスの製作者)から見て、
人間の意識が作る心の動きの蓄積(知識)には、色々種類があって、
それに対応するために何度もヴァージョンアップする必要があったというけど、
ヨガの哲学からいうと、
その知識とは、
1)正しい知識、
2)間違った、不正な知識、
3)根拠のない(立証のない)言葉上だけの知識、
4)睡眠時における知識、
5)かつて行った経験からくる知識、の5つが心の働きに相当する。
今回6人目の書き換えをするためのウイルスバスターのような存在のネオは、
今度はどんな心の働きにマトリックスが対応するように登場させられたのだろうか?
心の働きの種類は5つしかないので、
この6番目というのはヨガ哲学のにおけるすべての心の働きに対応しつくしたことを意味するのか?
ならば、6番目の書き換え自体が必要ないのでは?
さらに、リローデッドに登場する、メロビンジアンの言葉は、
カルマ思想(原因と結果を産み出す行動学)からきているのは間違いないと思う。
以下抜粋↓↓
「そして、どうでもよくなり・・・すぐに訳や理由は消え去っていく・・。そして大事なのはその感覚だけになる・・。それがこの世の中の本質・・。わたし達はがき、それを否定しようとするが見せ掛けに過ぎない偽りだ。平静を装った外見とは裏腹に・・。実際のところ我々は完全に自分を失っている。」
「因果関係、そこからは逃れられない。我々は永遠にその奴隷。我々の唯一の希望、唯一の安らぎはその理由を理解する事・・。何故かと。彼女達とのちがいだ。君たちとわたしの。」
「理由こそ力の源だ。それを欠けば無力。君たちは理由を欠き、力を持たずにここへ来た。皆、似たようなもんだ。だが、おそれるな・・。見たところ君達は素直そうだ。わたしがこれから命じるいい付けに・・従ってくれるだろう。」
マトリックス(数列により産み出された世界)では、原因と結果の相関がよりはっきりしている。
カルマの法則をより理解するのにこの映画はなんて、完璧な状況なんだろう!
偶然により産まれたシチュエーションなのかもしれないが、見えない世界(意識の世界)を
表すのには(理解するのには)、素晴らしい分かりやすさを与えてくれている。
ネオがいわゆる悟った状態での発言として、
「この世界はすべてまやかしだ。」とあるのも、
ヨガの哲学を語っている(正確には、ヴェーダーンタ哲学)。
こういった、根本原理がベースになっている映画は人々の見えない理解を刺激する。
自分も刺激された1人であったわけですね。
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