【3】『精神と時の場所』の巻
さぁ、センターでの生活が始まった。
7人の男女が・・・(ウソ、ウソ)
7人の男性が同じ部屋で10日間会話なしで生活するのだ。
ある意味すごいシチュエーションだ。
そのうち、1人は欧米人だ。
もしかしたら、7人が同じ部屋で普通に布団をひいて寝るというだけで
『無理!無理!』という人も日本にはいるかもしれない。
ウォッシュレットじゃないから無理!
きれい風に見えないから無理!
いやいや、施設はとてもキレイなのだ。
11日目の最後には、みんなで分担して本当にキレイに掃除をして帰る。
でも、1つ不思議なことがあった。
宿泊棟とトイレ、シャワー棟は別なのだが、シャワー棟で何か焦げたニオイがするのだ。
どういう時にするのかも分からず、何が焦げているのかも分からずいた。
最終的に、自分はトイレ掃除を選んだことによりその疑問が明らかになる。
松の木の樹液かなんかで作ったエコ的なクリーナーのニオイだったのだ。
霧吹きみたいなものに入っていて、吹きかけて掃除する。
このニオイだけは原因が分からず最後まで過ごすことになった。
という具合に、ココならではのスタイルみたいなものもあって面白かった。
10日間、周りの人々がどんな人かも分からない状況で毎日が過ぎていくのだ。
これこそ、奇妙な生活だ。想像していたが、現実は刺激に満ちていた。
自分だけでなく、周りも自分はこういう人なんだろうな?とか体格や服装で
決め付けているはずなのだ。
毎日のスケジュールは、ほとんど同じで規則正しい生活だ。
簡単に言うと、6時間半の睡眠。5時間半の休憩。12時間労働。
自分は、この労働を2・3・4・3と呼んでいた。
(休憩を挟みながらこの長さで行われる)
その間に起床、就寝などそれぞれ各30分、朝食時に1時間半、ランチ時に2時間、
夜のティータイムに1時間、合わせて5時間半の休憩タイムだ。
ココでの労働とは、瞑想をすることなんだけど、
労働内容、すなわち瞑想内容については、ここでは触れたくない。
やっぱり先入観がうまれるからだ。
(できるだけ多くの人に参加してもらいたいし。)
バガヴァッド・ギータにもあるように、我々はしなくてはいけない労働に対して
専心するのだ。毎日、毎日、毎回、毎回、毎時間、毎時間、その度、その度。
それが、『精神と時の場所』のルールなのだ。
夜には1時間ぐらい講和を聞くので、瞑想ばかりしているわけではないのだけれども。
この講和が楽しい!
ヨガに関わっている人だったら(ポーズばかりしている人ではなく)、哲学的なことが
出てきて混乱するかもしれないけど、
ヨーガスートラの講和本、「インテグラル・ヨーガ」のように
分かりやすい説明で哲学という気を持たせない話で分かりやすい。
じっとしていたり、行っていると色々な疑問が浮かんでくるものだ。
質問が出来る時間があるので次の日に聞いてみようと思っていると、
夜の講和でその疑問が晴れていく・・・
やはり、考え方、理論、と共に実践はないといけないのだ。
ついつい周りに流されて、周りの誰もが出来てなくとも自分だけが
してればいいやとなってしまうけど、誰もが挑戦しないといけないんだと
再確認させてくれる。
理由なし、目的なし、理論なき、学びなしに行う行動は、肉体を精神を傷つけているだけだ。
精神を傷つけ肉体が欲求を得て、肉体を傷つけて精神が欲求を得る。
たとえ水泳であっても、マラソンであっても、筋肉トレーニングであっても、
理由、目的、動機、理論、学びなしに行うことは、いかなる”気づき”も得ることができない。
やはり、1%のセオリー、99%プラクティスなのだ。
そして、プラクティスは続く・・・
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こんにちは。いつもyoshiさんの考え方に同感してます。目的なき練習なんて、ゴールのないマラソンレース。まさにIntentionですね。あらゆる修練にはmotivation…でもその背景にselfish egoがないか、慎重になること。altruisticであることは難しいけど不可能ではないと思います。いい経験されましたね!1%であるからこそtheoryには重要な意味があるのですね。