徴兵制を導入するべきだ!
って、いうと「変な顔をされる」
そんなの駄目に決まってるじゃん! 戦争したいの?
など、など、など・・・
『いい』 or 『わるいか』 の決定をしたいのではなく、可能性を探りたいのだ。
だから、林間学校制度を導入するべきだ!
とか、
学校の体育にヨガ(世界的にはパワーヨガというといいかな?)を導入するべきだ!
などとソフトな言い方にしている。
映画を観たとしても、理解度は別にして個人がそれぞれ着眼するポイントは違うだろうし、
感動するポイント、覚えている風景、好きなシーンいろいろあるあるはずだ。
すべての映画をつまらなくさせるものとして、ただ「よっかた?」or 「駄目か?」
という会話をする人がいる。
良いか悪いかを決め付けることなく、どちらも探りながらする会話は最高だ。
その個人を刻んできた歴史が着眼点を作っているからだ。
良いか悪いかでは会話がそこで終わるのだ。
徴兵制を日本も導入するべきだ!と誰かに話すと、感情がそれを否定するのか?現実味のない話だから
会話を終了したいからなのか?「も」の部分にすら気づいてもらえない。
徴兵制を導入していないアジアの国は日本ぐらいなのだ。
このあたりで大きな勘違いをされては困るので言っておくと、自分の言う徴兵制の意味は
何も銃の使い方や戦争の仕方を習う必要があるという意味ではない。
銃など使ってほしくないし、迷彩服など着てほしくない。野球部の夏の合宿に行くぐらいの意味だ。
青年期に身体を鍛えておく必要があるのだ。
だから林間学校とか体育にヨガとかいっているのだ。
銃の使い方とかは自衛隊に入隊した人が習えばいい。まぁ、護身術ぐらいは習う必要はあるかもだけど・・
そして、なぜこのようなテーマを心に秘めておけばいいのに声を大にして書いているかというと、
同意者を発見したからだ。
大前研一のコラムで大前さんが言っている
(以下途中抜粋)
日本が国家としての戦略を持つと考えたとき、私は予てから「徴兵制度」の導入を検討するべきだと述べてき た。
ドイツの連立与党内で成人男性に6カ月間の高齢者介護などの社会福祉活動を義務付けている制度を存続させるかどうかが争点に浮上した。徴兵制度のあるドイツでは連邦軍での勤務を拒否した場合は、その代替措置として社会福祉活動に携わる必要があるが、独政府が徴兵制を凍結する検討に着手したため、福祉国家を支える社会奉仕活動も揺らいでいるとのこと。日本でもこのような議論を積極的に展開して欲しいと私は思う。
「徴兵制度」を導入する目的は「ピストルを撃つ方法を学ぶ」ということではなく、厳しい環境の中で半年間苦労に耐える経験を積むことにあると思う。また「徴兵拒否の代替活動」や「徴兵免除の条件」をどのように定めるかによって、国家としての戦略を反映させることができる。
ドイツのように「徴兵拒否」の代替として社会福祉活動に携わらせるのも1つの選択肢だし、あるいは台湾のように「徴兵免除」の条件として工学部の大学院生と定めることもできる。台湾がエンジニアリングに強くなり、チャイワンと呼ばれるまでになったのは、徴兵制度の仕組みの影響が強いと私は思う。
こうした台湾の学生に、アルバイト三昧の日本の学生が敵う道理はないだろう。「日本という国をどのような国にしたいのか」という全体戦略が欠如したままでは、日本は今後さらに世界から取り残されてしまうことになると私は危惧している。
ハワイに留学してまだ語学科で勉強していたころ、多くのアジア人がいた。台湾人の男性と話したときに、彼は徴兵制でいかなくてはいけないからハワイに逃げてきたと言っていた。確かに見た目は貧弱で、まさに今の日本の男の子のような姿だった。
徴兵制度で一年間共同生活を終えてからハワイに来たという韓国の男の子は強そうではないけど、自信に満ち溢れた強い目をしていたのを覚えている。
まぁ、あの時や世界中を見てまわった経験や雰囲気から意見というのが作られているから、その感覚を言葉で表現しても中々伝わらないものだろう。そこに違和感があるのは事実だ。
1つの単語が持つ深みは個人の歴史によって変わってくるのだ。
芸術家の言う『赤』という一文字は自分の言うところの『赤』とは相当意味が違うだろう・・・
自分の発言と行動の多くは『日本』への偏った強い感情で構成されているのだが、
どうしたら良くなるだろうか?みなが幸せになるだろうか?に集約されているのだ。
同時にひとつの普遍的だと思っているルールが裏にある。
「苦を知り、苦を受け入れ、苦痛を感じてこそ、その障害を乗り越えて幸福はやってくる」
つらいけど、がんばって運動して健康や美は手に入るのだ。自分に合う合わないはあるにせよ、
楽をして・・・という形でほしいものが手に入ることはないのが普遍的ルールだ。
国が強制的に青年期に身体を鍛えさせ、精神的に強くさせておけば病気や成人病も減らすことができる。
すなわち、将来的な医療費も減らすことができるのだ。日本の政策を見ても、アジアのどこどこでは
この方法は成功しているとか、ヨーロッパでの例では・・・という会話が見られない。
体力と精神力があれば、精力的に過去の歴史から何かを学び、今に活かしていくことができるのに・・・
と思うのは子供じみた考えなのだろうか?
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