説得されてないが、納得させられたの巻。

説得力のある人がいる。
説得する力があるのだ。
相手を共感させて同意させる。
しかし、それが何故いいのかまでは分からせていなかったりする。
説明しても理解できてなかったり、わかってなかったり・・・
説得力というより、納得力だ。
説得は理解しないと産まれないけど、納得は ”いい!”と思えば理由なき道を行く。
そして問題は説得できてない方にあるのではなく、理解できない方にある。
理解できないぐらい頭が弱いのではなく、シンプルに相手の話を聞いてなかったり・・・
聞き終える忍耐力がなかったりしているのだ。
そして、よくある話と置き換えて分かった気になっている人もいる。
こういったケースは、実は、高齢者の人にも多かったりする。
何かをする場合も、耳で聞いて頭で行動をするのではなく、目で見て真似をする人が多い。
そして、目をつぶると瞑想ではなく、想像するのだ。
妄想なんて都合のいい、カッコいい言葉を使う人がいるけど、簡単に言うと、「ぼけっとするのだ。」
脳が良い集中状態にあり、意識が現在(いま)に滞在している人の目は見れば分かるのだ。
そういった人は、本当に相手を思いやることができて、
(本当にという意味は、瞬間的に、必要な時に、思いやり、お世辞、賛辞などを都合よく出すことではなく、
自然にいつも相手の気持ち(背景が)見えている状態のことだ)、
その結果、自分自身が絶えず幸せにいることができるのだ。
人を思いやることが出来ていても、それが行動に出るか出ないかは別の話だ。
人を思いやることが出来なくとも、瞬間的に思いやっているような事をしたりすることはできるのだ。
人を思いやることが出来ずして自分を思いやることが出来ようか?
思いやるとは相手の視野から世界を見ることだ。そこに感情を入れてはいけない。
背の低い人と高い人では見える視野がちがうだろうし、求めるモノもちがう。
求めるモノがちがうから行動も変わってくる。その行動に沿って手を差し伸べることを思いやると
ここでは呼んでいる。
同情するとか、可哀想と思うとか、いいな~と思うとかではない。それは全て自分の勝手な思いだ。
世界は矛盾で成り立っているとしか思えないのだが、
説得力は思いやりから始まるのだが、納得させる力は相手の視界から物事を見ない方が強い場合がある。
時には相手の状態など無視して押し進めることも重要だったりするのだ。
それによく分からず人がついて行ったりする場合もある。
これは世界の終わりを現しているのではない。
むしろ、始まりを現していると自分は思う。
名古屋の市長選挙や解散投票など、新しい流れが始まるのだ。
民主党などが政権を掴んだのも、その始まりの1つだと思われる。
多くの人が批判もしているけど、すべての物事にはメリットもデメリットも含んでいる。
こうやって、メリットをもう少し探して行きたいと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です