インドでの挨拶は 『ナマステー』が有名だ。
これはインド人が使っているヒンディ語ではなく、古代の言葉、サンスクリット語になる。
Namaste は、「namas(礼拝)」と「te(あなたに)」が合わさって出来た言葉だ。
日本でも古代より八百万の神(やおろずのかみ)といって沢山の神々として自然にある
すべてのものや我々、一人一人にも神性を帯びた要素があるという感覚を共有してきた。
私の中の神聖な部分が、あなたの中の神聖な部分に挨拶をします。
この感覚が 「ナマステー」 であり、「礼拝」なのだ。
感覚を持つということはすごいことで、よくお参りなどで「願い事をする」人がいるけど、
願いを誓うならまだしも、「願う」とは大きな違いがある。
自分で何とかしろよ! って話なのだ。
自分で何とかするときに、背後で多くの(八百万の)力が見守ってくれているという
感覚を持つと頑張れるのだ。
調子乗りすぎといわれて仕方ないと思うけど、聖徳太子が使った方便なのかもしれないけど、
日本はアジアの東の端の国。
東といえば太陽の昇る側。
象の国、インド。
龍の国、中国。
光を射す国、日本。
その光の天照大御神(アマテラスオオノカミ)が住んでいるのが伊勢神宮だ。
最近はパワースポットという言葉が有名になり伊勢神宮にも参拝する人が増えて商売の神は微笑んでいる
ようだけど、伊勢神宮は特別な場所なのだ。
アマテラスが住んでいるのだから。
こうやって表現すると頭がオカシイ人と思われてしまう。
でも、おかしいのはオカシイと思った人なのだ。
日本という国がどんな国なのかを説明するのによく使うのだけど、
日本人はアマテラスが伊勢に住んでいると信じている国なのだ。
20年に一度、古代の神殿造りで家を建てて、アマテラスは引越しを続けている。
神宮式年遷宮と正式に呼ばれる引越しは、690年に最初にされたといわれ、その後、
1300年間続いているのだ。
我々は長年、目に見えないアマテラスさんを70回以上も引越ししてもらっている。
そして、そのアマテラスさんに会いに行き、挨拶をするのが『お伊勢参り』だ。
江戸時代にはヤジキタ道中で有名な、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』が
火付け役となり一生のうちに一度は『お伊勢さん』に行くことが流行ったのだ。
自分も海外に住んでいるときにこういった事実を知り、その結果、日本に帰国したら
独り東海道中膝栗毛をすることになる。。。
年末の寒い中、独りで150㌔の道程を5日間かけて歩いて『お伊勢さん』まで行った。
それ以来、毎年一回は挨拶に行くようにしているのだ。(今は車でいきますが・・・)
1300年もの間、見えもしないアマテラスさんを20年に1回引越し続けている国があろうか?
ある意味、我々はファンタジーに生きる貴重な少数民族なのだ(単民族としては人口多いけど・・)。
そして、伊勢神宮に行った人は分かると思うけど、太い木がそびえ立ってるのだ。その木と1300年の
引越しの歴史を感じると鳥肌がいつもたつ。
感覚をもつことが大事なのだ。
感覚さえ持っていれば『願い』など何でも叶うのだ。
確かに無敗の日本が大戦で負けて自信を失って揺れているのは分かるけど、もうそろそろいいでしょ?
経済でもやっぱり昇りつめて技術という光を照らしてきた日本。
後は自信を持って感覚を大事にすれば何も不安などないはずなんだけど・・・
もちろん、象と龍に対するリスペクトはわすれちゃいけませんが。
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