精神の印

印とは何かを現すモノだ。
名前を文字として映し出すものは印鑑と呼ばれる。
現すとは映し出したりすることで、
映し出すモノとは、印象と言われたりする。
心の働きの1つに記憶を封印することがあるけど、これも印を封じ込めるのだ。
学生時代に大恋愛をしている時に聴いたラブソングを聞くと、何か、特別な印象が湧いてくるだろうか?
人によってソレは様々だけど、
何か、想うことは確かだろう。
その思いは封じ込められた印象の力だ。
過去の記憶という、人生の1ページでこのような力を持つのだ。
宇宙の真理というと、大げさだけど、日は東から登るとか、
普遍的な事実はもっと力を持つ印象だというのは中々知ることが出来ない。
だから、逆説的に考えて見る。
もしも、明日の朝に西から太陽が登ったら・・・
自分の中に普遍的に記憶として封じ込められていた力が爆発的に暴走し、
処理出来ない事としてパニックになるのだ。
普遍的なモノを音として意味を込めて印象にするのは、恐ろしい程に力を自分の内に蓄える事なのだ。
パタンジャリのヨガの世界では、偉大で崇高なモノをイーシュバラと言い、
ソレを音にしたものを聖音オームと呼んでいる。
イーシュバラという目に見えない印象を音にする事に意味があるのかも知れない。
自分の中に封印するために…
この事を理解しているのか、
宮崎駿の「風の谷のナウシカ」で登場する象の様に大きく怒ると恐ろしい生き物の王蟲(オーム)は、
世界でいちばん偉大で高貴な生き物と印象でナウシカに表現されて、
全てを浄化するための化身のような存在としているのだ。
ナウシカ
印象の持つ力は凄い。
睡眠薬を欲しがる精神科の患者に医師が小麦粉を処方したら、睡眠薬と思って本当にすぐ寝てしまった。
というプラシーボ効果の話を聞いたことがあるけど、これも印象の力だ。
桜
我々は大地の力強さから大きな力を印象としてもらい生きているのだ。
花を咲かせる植物に変化への力を、暖かい春の風に新しさを、夏の熱い日差しに活力を、
真っ白な雪模様や静かな湖畔の水面に純粋さを・・・
日差し
雪
それらの印象を言葉に封じ込めなくてはならない。
いつでも、その力を身体が得る為に(時にソレをヒーリングと言ったりする)は、
印象となるリアルなイメージと共に言葉が大事なのだ。
私は偉大で高貴なモノへのイメージを印象づけてオームと声に出している。
別にブームでも、フームでも、アームンでも、アーメンでも、オーンでもいいのだ。
諸行無常の・・・
全ての理(ことわり)は常に変化しているという印象(イメージ)を持つ鐘の音の響きであればいいのだ。
(これは徒然草だけど・・・)
これは、慈悲(マイトリーカラーナ)慈悲ばかり言っているヨガのインストラクターや、メッター、メッタばかり言っている瞑想者や、南無南無ばかり言っている日本仏教徒に対する強烈な批判だとは誰も気づかないだろう。
印象のない抜け殻の様な言葉を発しているから、自らに力を宿す事など出来ず、日々の行動に、意識的な部分に何らかの結果が生じないのだ。
これが、行動自体には意味がなく、その過程に意味があるというわけだ。
ん?ここで意味が解らなくなったという人もいるだろう。
その意味を理解しようとすると、このブログを全て読んでもらう事になるから今回は無情にも飛ばさして頂く。
言葉に比べれば文字の力など無に等しいと思うので、文字として好き勝手に書かせてもらいます・・・

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