マスタースダカー先生WS①

スダカー先生のワークショップが、
名古屋初で MySOUL8にて行われました。
スダカー先生のレッスンは参加するのは初です。
香港ヨガカンファレンスやヨガフェスタ横浜では挨拶だけだったので、
とても楽しみにしていました。
2012年秋の時点で、ヨガフェスでも真っ先に予約が埋まったりして、
今、日本で1番話題の先生と言えるかもしれないですね。
アジアでは、本拠地の香港のPUREヨガでは大人気メイン講師だし、
台湾・シンガポールなどでも大活躍の先生です。

スタジオに来ると、そこらじゅうにあるガネーシャ像を喜んでくれました。
日本のスタジオに色々まわったけど、
インドの伝統であるガネーシャ神をこんなに大切にしてくれているスタジオははじめてだ!
って喜んでくれました。
ガネーシャは、障害を取り除く神様、まさにヨガのプラクティスがそうだよね。
って会話から始まり、入口に入ってスグのガネーシャ像の配置へのアドバイスや、
スタジオ入口の横たわったガネーシャ像へのアドバイスなどいただきました。
今回のワークショップは、いつも練習している生徒さん達以外の方の参加が多かった様に感じました。
マスターと言うのがイメージが先行して、
MySOUL8の生徒さんは先生向けと思って遠慮したのかもしれません。。。
まぁ、正直に言うと…
やはり、自分が参加したことのない先生は噂や人気だけで推薦できないのが自分の性格です。
タイトルは、『執着からの解放』で、ヴィンヤサすると言うものでした。
面白いのは、今日のタイトルは何になっているんだ?
って、通訳のまどかさんにワークショップの途中で聞いている姿でした。
僕は前もってワークショップの為に決まった内容を用意しないんだ。
その時に、必要なヨガレッスンを提供するんだ的なことを言っていました。
いやぁ、共感できます。
レッスンに参加されるメンバーから、マットの位置から、
季節・時期から、場の雰囲気まで毎回違うんだから、
彼ら(参加者)にあった説明方法や内容があるべき。
自分がいつも気にしていることとしてある、どうしたら参加者達とヨガを結びつけるか?
まさにソレを実践しているのかなぁ、と思いました。
最初に、スダカー先生から、
このスタジオが如何にヨガと真摯に向きあっているのか?というのを感じられて
非常に嬉しいという、お褒めの言葉からいただき…
そして、スタジオに多くあるガネーシャ神は障害を取り除いてくれる神で、
ヨガの練習においては雑念というか、不必要なマインドを取り除いてくれるという事になりますよね、
とガネーシャ神の重要性を説明しました。
さてさて、ヴィンヤサクラスです。
名古屋の前に行われた東京でのワークショップでは、
ヴィンヤサと言いながら動く事なく座学で終わったと聴いていたので
名古屋は是非に座学だけでは終わって欲しくないな~と思っていました。
さて、執着。そして、執着からの解放。
我々はソレをする為にアサナの練習をするのですが、その前に知らないといけないです…
「ASANA と何であるか?」ということを…
そうです。我々は、様々な定義でアサナをしているのです。
それを共通言語としてから始めないと内容は伝わらないのです。
流石はマスター!!!分かってます!
スダカー先生が言うには、我々には知性という物があるのだけど、
その習性として小手作な理解で簡単に言葉にして発してしまうことがあるそうです。
簡単にとりつくろって言葉にしたり、行動にしてしまうのです。
その意味を考えたりせずに…
「アサナという意味は何ですか?」
この時点で、参加者の皆さんは色々思いついて、
頭の中で浮かんだと思いますが、やはり誰も答えません。。
日本では、思っていることを声に出して言うのは美徳ではないのです。
まぁ、不安だったり自信がない人もいると思いますが…
ですが、言わないと、知らないと思われアサナとは?で2時間終わりそうだったので、
「坐る」という一般的な定義な答えを出しておきました。
そう!!very good!!「坐る」と言うこと…と、
次に進んでくれたので、ホッとしました。。。
では、坐るということは、どういうことか?
我々は椅子に座ったりしているが、普段すわるのと、アサナとして坐るというのは何が違うのか?
自分はこの時点で、
「坐ると言うこと」、「アス(お尻)の在る場所」、「スティラ&スーカム」、
「大地に根を張りエネルギーを感じること」、「マインドを鏡のように写しだす手段」、
「無意識に普段あるのを意識的にする姿」など、
それはまぁ、普段クラスで言っている有りとあらゆる表現が浮かんだんですが、
マスターが望んでいる答えは何かな?とか、
他の生徒さん達に答えるチャンスを…と思い、待っていました。。
すると、スダカー先生は…
便利になった現代人のマイナス要因がコレだといいます。
考えないということ。すぐにググれば答えが現れて、それを答えればいい。
頭でその意味を考えなくとも、その答えをコピーして言えてしまう。
だから、アサナは、坐ることです。
と、本や先生に言われたら、意味も理解せずに、アサナは坐ることですよ、と生徒に告げてしまう。
ヨガの練習をする人は、アサナの意味を理解して練習する必要があり、
ソレを理解出来れば、執着からの解放とは?という事は自ずと理解できるであろうと説明していきます。
クラスを受けて最終的には、アサナとは?って頭に浮かんだ内容を、まさに体験する内容だったので良かったです…この真理を実践で理解させるという技術がどんなものか?知りたかった部分もあったので…
マスターのクラスの進め方は理にかなっています。
いつものスタイルは、質疑応答の中から伝えるベキことを組み立てていく、
まさにLIVE感溢れるアドリブなスタイルなんだろうかな~と、思ったりしました。
と、言っても参加者はまだ気さくに意見を発言する感じではないので、
マスターのリード主体で進んでいきますけど…
現代人は考えることなく、言葉や行動にしてしまう。
日常の生活で「すわる」ということ、ヨガの練習でアサナとして「すわる」ということ、
何が違うのか?答えが分からないとググって分かった気になって誰かに話していく…
愚かなことをする人をBOGIと言います。
我々は、YOGIでないといけないのに…
アサナは、ある決まった方向へと向いてないといけない。
アサナをする時もヨギとしてする事が大切なんだと・・・
(皆さんは BOGI としてヨガをしているんですよ!)と・・・
では、執着から解放されるためのアサナとは、どういうことか?
スダカー先生は丁寧に心により執着がいかに産まれるかを説明して、
その後、実践により分かるだろう…
まずは、プラクティスを楽しんで!
と、約1時間ヨガの実践…が始まりました。
内容は機会あれば是非参加して、
どうやって実践しているかを体感して下さい~
そして、最後にまとめに入ります。
いかに実践ができていたか?
完璧にキレイにポーズが出来ていたか?
完璧を目指す所に執着がある。
マインドが5感覚器官から情報を手にし、
どんどん考えはじめていく。
他の人と比較したりして、
コンプレックスが生まれていく…
コレが不幸の出発点だと…
自分的に表現すると、
不完全であるという状態が、
完成された調和された状態だと
受け入れていく…
スダカー先生は、
不完全で笑顔が幸せにする。
と、表現しています。
そして、驚きが、大切だと!
予測つかない突然のショックが、
自分を今に留めてくれるのだと…
この手法は、
どんなポーズが次に来るかわからないから実現しているんだ。
と、スダカー先生は言っています。自分もフリーヴィンヤサというニュアンスで使ってますが、
日々、同じ流れの中の練習でも予想つかない微細な変化や驚きは訪れます。
自分が把握出来ない身体の裏側で、空間の距離感も時間の感覚も分からない状態から、
指と指が繋がる。すなわち、距離感が突然現れるショックです!
そういった新しい情報が生まれる瞬間、マインドは沈黙します。
その沈黙を作り出すのが僕の仕事だ、とはっきり言えるスダカー先生はかっこ良かったです。
中々、言えません。
その沈黙に自己が在ると分かっていても。。。
そんな中で…1本目のワークショップは終了していきました。。。
沈黙は練習生、プラクティショナーの中にあります。
世の中には、
沈黙や悟りのゆったりとした雰囲気をかもしだした先生は大勢いますが、
スダカー先生はそんな演出は気にもしません。
自分自身の闇を見つめるのに、先生自身が私を見て!私のポーズを見て!
と、光輝いていては闇をしっかり直視する邪魔にしかなりません。
闇の中に本当の光が在るという本質を理解している数少ない指導者だな、と思いました…
長くなりましたが、
2本目の、股関節のテーマに続きます。。
また次回にでも・・・

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