イベントを利用させていただく。

男は背中で語ると言いますが・・・
ヨギこそ背中で語ります。
個々の練習により溜め込んだエネルギーが見えるのは背面なのです。
口では色々言いますが、多くを学べるのは、やはり背中からです。
表面的な同情、哀れみ、共感、それもいいですが。
表面という言葉は不適切かもしれません。
『一時的な』 が正しいのかもしれません。
それらの感覚は学びというよりは、学びと学びの間の休憩のようなものです。
すなわち気休めです。
気を引くためにある程度の共感は必要かもしれませんが・・・・
もしも、何かを知らないから知る為に学ぶのであれば共感すらできるはずがないのです。
・・・・なぜなら・・・知らないから。
知らない人が学ぶ時に、その先生に共感できる方法は2つ。
1つは同じく知らない人から学ぶこと(すなわち偽者です。でも彼らは知らないだけに
共感を得る方法は素晴らしく、見えないものを見えるといったり未知の力を感じたりします。)
もう1つは、有名という名声から来る共感。有名だから間違いないだろう・・・
これも桜ばかりだったら根拠のないものですが、素晴らしいに違いないだろうと感じることが出来ます。
何がいいたいかというと・・・
受けて(習う側)は何も知らないということです。
だから伝える側は重い、重い責任感を背負います。
ヨガの内容を伝えるのも大変ですが、伝え方を伝えるのも大変です。
見たことのない世界を見せないといけないのですから・・・
なので、伝えての背中
(背中が見えるくらい近くで伝えているところを見るという意味ですが・・・)
を見て学ぶことはとっても重要なのです。
そして・・・
背中から学ぶためには体験しないといけないし、
その人が何をしようとしているかを知っていないといけないし、
自分の意見やエゴは置いておいて深く観察しないといけないです。
すなわち忍耐が必要となります。
こないだ、NaYOGAの坂野さんの紹介でグリーンプロジェクトのヨガのクラスを行ってきました。
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せっかくなので、
自分が講師指導している生徒さんにもアシスタントでお手伝いしてもらいました。
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もちろん、その場でレッスンを受けることも講師としての勉強になりますが、
その場の雰囲気、クラスの流れの運び方、言葉のイントネーション、アクセント、アジャストメント・・・
近くで同じ目線で見ることも、とても勉強になります。
こういった影響から・・・気づくと自分自身も同じようにレッスンをするようになっているものです。
自分も習った先生のクラスを受けて、受けて、受けて・・・・
アシスタントの経験をしたり、通訳したり・・・
その先生の方向性や伝えたいことを理解し、よい部分は自分にも吸収してきました。
これは講座やワークショップで説明できない学びです。
手伝ってくれた方には報酬はありません。
損しているのでしょうか?
少しでも心に報酬もらえないかな? とか、
参加したいけど面倒だな? とか、
何の得が私にあるのだろう? とか、
参加者の数によって行くか決めようかな? とか、
人前に出るのが恥ずかしいな・・・ とか、
なんてことが浮かんでもらえたら、学びの要素があります。
学びの意欲は低いですが・・・
ちなみに、自分が頂いた報酬は全部、寄付(ドネーション)します。
このワークショップでのすべての行いが、またよい行いへと繋がるようにと。
カルマヨガの最も簡単な実践だと思っています。
時に学んでほしい!ほしい!ほしい!
がプレッシャーになりすぎてしまうのでは?と不安になりますが・・・
吸収するのは個人差があるので仕方ないかと。
何もないよりはましかな?と・・・
そして、結果的に!
ワークショップやイベントの参加者の皆さんに感謝できるわけです。
本当にありがとう!と。。。。機会がなければ気づきはないので!
とても簡単に出来る素晴らしい世の中、美しい世の中の擬似的なモデルです。
理想ですが・・・その理想が作り出せる環境にまた感謝です。

2 件のコメント

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    >NaYOGA 坂野さん
    いえいえ。利用させてもらうという、横柄なタイトルですいません。。。

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