リアルついて考える。

こないだ見てきたイベント↓
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芸術にしても芸能にしても自分さえ、ナチュラルにしていれば何かが自分のどっかにあたる。
浮かんだことはコレ↓だった。
デジタルか? アナログか? 
このテーマにはいつも混乱させられる。
混乱するとは、困るわけであり、困難なわけであり、苦である。
なにが苦かっていうと自分が無知なのだ。
何がアナログで?
何がアナログではなくて?
何がデジタルで?
何がデジタルではないのだろう?
レコード盤には波があり、その波を読み取ってスピーカーに出す。
これはアナログだ。
デジタル変換がないのだ。デジタル変換とはその情報を0と1に変換して並びなおすということ。
アナログテレビは4色(もしかしたら3色)のパターンですべてを表現する。
これをデジタルだとまた0と1の情報に変換するのだ。
それって変わんなくないか?あんまり。
要は、ナマ声、アナログ声、デジタル声があり、
ナマの風景、アナログ風景(写真)、デジタル風景(デジタルカメラ)
があるというわけだ。
でもアナログ声やアナログ風景はナマ(リアル)なものに近いと思われている。
感覚か? 感情か?
どの様な写真や映像で風景を見てもナマの(リアル)なものには近づけない。
なぜならカメラはその映像の一部を抜粋したものだし、視野が狭い。
すべての視野が風景でそこには異なる光や温度や臭いがある。
やはり、
感覚だ。
感覚からくる感情だ。
そういった意味では、アナログ写真も音もデジタル写真も音もあまり変わらないのかもしれない・・・
と頭で考えながら・・・
最近レコードに触り始めた。
アナログ音を感じてみようかと・・・
音楽の開始音の「ぱきぱき・・・」というのが心地よいのだ。
やはり、感情か?単なる好みか?
結局はリアルに圧倒される。
やはり、そこには驚きを超えた感動があるのだ。
去年は残念ながら参加できなかったバリ舞踊とインド舞踊のミックスイベントを観てきた。
Cudamani(スダマニ)&ウロツテノヤ子
×
OdissiDance Yukie Satoh&インド古典音楽
MySOUL8にいるナコ先生のインド舞踊の先生のユキエさんなどが
関わるイベントだ。ユキエさんとはパンダウォークで知り合い、
伊藤先生のワークショップをオーガナイズしていたり、
インド舞踊のイベントに参加したり楽しませてもらっている。
今回のイベントはちょっと規模が大きい。
イベントも終わってからナコ先生に聞いたのだが、要は4つのグループが
関わっているイベントだった。本当に分かりづらいのだ。
まぁ、そんなことはいいとして・・・
バリ島はウブドではしょっちゅうバリ舞踊が行われている。
テレビもゲームもない時代から舞台が芸能だったのだ。
日本において歌舞伎があったり、町では紙芝居があるように。
その時に使われる物語がラーマヤナであり、インドの古い物語だ。
日本の古事記とか源氏物語だったり、平家物語と思っていい。
そういったストーリーが80%がヒンズー教のバリ人(インドネシアではほぼイスラム教なのだが)によって伝統的にされるのだ。
何世紀に渡ってアジアを通じてインドからバリ島へと伝わったのだ。
その物語の1節をインド舞踊のオディッシーの踊りとのミックスで
伝える。
何世紀にも渡って伝わり守られたものが出会い融合する。
しかも、アジアの端っこの日本の真ん中で。
このいきさつにはアナログとかデジタルとかリアルとか何もない。
偶然の利害の一致でなされたことかもしれないが、少なくとも
自分には奇跡ともいえる感動を伝えてくれているのだ。
はたから見たら滑稽なお粗末なものなのかもしれない。
しかし、この瞬間に感動があるのだ。
写真にも記録にも残せない感覚だけが風景でもなく、臭いでもなく、
音声でもなく、味でもなく、ただそこにあるのだ。
物語はすぐ終わる。
そして彼らがいう・・・「この続き・・・いかなるか?いかなるか?」
「この続きは・・・来年の講演で~」
1年も先なのですね。。。
・・・・それが現実(リアル)だ。

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