感謝すると共に”ありがたい~”とも思う。
正にインポッシブル イズ ノット ポッシブル だ。
不可能なんてあり得ない! とまでは飛躍しすぎかもしれないけど、
有り難い。有り得ることが難しいぐらいのことがおかげさまで起きているわけです。
自分の場合はすべて、その「行為」というものを重視しているので、
いつも、その言葉と行為との食い違いや、その言葉と表情との食い違いに違和感を感じてしまいます。
それをリアクションと読んでいるのですが。そのリアクションを読み取る力が大事だと思っています。
誰にとって大事なのか? 道を示すものにとってです。
道を示すというと大げさですが、字のごとく、道を聞かれても同じです。
道を聞かれて説明して、聞いた人が違う方向に進んでいっていたり目的地に着かなかったら
道を示すという親切はしたけど、行為はよい結果をうんでいないし、示せなかったことになります。
道を示すもの。父親、母親などの両親であったり、姉であったり兄であったり、上級生であったり先輩であったり、もちろん先生であったり、会社なのでは上司であったり先輩であったり社長であったり校長であったり。。。
実は冷静にすべての人々に当てはまるといえるのです。
何が違うかというと、その責任の広さと重さと深さ。 この微妙なニュアンスは英文では書く自信がない。。。
何はともあれ、いついかなるときも、
指し示す時もあれば指し示されている時もあるし、道の上にいると感じることが重要だと思っています。
もちろん、時に迷子になることもありますが誰が、どんな考えが、
どんな思想が自分を指し示してくれているかを知っていればまた元の道に帰ってくることが出来る気がします。
と、ここまではあたりまえじゃん!と思いますが。。。
重要なのはここからです。
こういった重要なことはシンプルなことと殆ど同じように見えて、微妙に、絶妙に、そして巧妙に
(しつこいか・・・)違っているので本などでは語られることもなく、重要だなんてバカらしくて
馬鹿でないと言えないのです。
まぁ、いいとして。。。
人はネットを通じて相手のリアクションなどを見なくてもいい、見えないメールやブログを通じて(はい。私もですが。。。)の作業と共にどんどん弱くなっています。ある人はコミュニケ-ションの仕方が変わってきているといいますが、メリット、デメリットが大きく違うのでそれを補わないといけません。
まぁ、何が言いたいかというと、便利になれば成る程、弱くなっているのです。カラダも精神も。
楽をしようと、怠惰で過ごそうとします。
だから、道を示すよりは示されたいと思います。運転中にカーナビに示されるがままでいる方が楽だと。。。
しかし、最初の話にもどりますが、人は道を示すのと示されれるのとを、結局どちらもしないといけないのです。
ということは、道を示されている間にも、自分がその道を示す側として示すつもりでいるといいということ。
この人しっかりしているなぁ~と思う人は、こういう酷い対応をする人がいるけど自分だったらこうするのになぁ~とか、こういう言い方を別のいい方にするだけで変わるのだけどな~とか、批判は批判なんだけど、
ポジティブな方向性を持つネガティブなこと(批判)なのです。
単なるネガティブな人や感情の渦に我を忘れる人々は、すぐ怒ったり文句を言ったりします。
そのくせ、しっかり執着に近い愛情を育んだりしているのですけどね。。。よくサービス業が
クレームを上手に利用してファンに変える手法です。。。(また話がそれました。。。)
道を示され進む側としては、示す場合も考えつつ行動するのが大切だということです。
例えば、地図という道を示す手がかりを手に入れて目的地にいく時に、帰りは地図なしで(自分自身が道を示して)いくようにするとか、帰りは誰かに道を教えてあげるつもりでするのは、何も考えずに目的に到着するのとは大きく違うということです。
逆に、道を示す時に重要なことは何だろうか?
反応を見ることだ。伝わり方は人それぞれだし、習得への情熱、時間、理解度も人それぞれ。
こちらから質問、疑問をシャワーのように浴びせて、その反応をリアクションを見るしかない。
そして、そのリアクションに感謝するのだ。ありえない!と。ありがたい!と。
自分は嫌らしいくらいに、分かりやすい質問、見えない質問、絶対に分からない質問などを出して
それから産まれるリアクションを観察してきた。特に自分自身に対してだけど。。。
自分がどんなリアクションをするのかが1番の楽しみなのだ。
こんなシチュエーションでの自分の反応(リアクション)はどんなものなのか?
それが今まで自分が学んできたことが現れる瞬間のような気がする。
と、話が自分のことになったけど、対人にしても同じである。
時期が12月ということもあり世の中は忘年会やら年越しに浮かれていると思う。
(別に悪いという意味ではない。)自分もキリスト誕生の月で町が光(イルミネーション)に
包まれながら神聖な気分を味わうようにしている(むしろ、忘年会で騒ぐとうより穏やかに
なってしまうが。。。)。
正直、気分はもう来年にあり、2011年をどう進むか?自分をどう導くか?に焦点はあるのだけど、
一年を振り返り感謝するのも大事だな。。。と、思う。
自分にとっての忘年会はすべての人のリアクションに感謝することなのだ。
自分の行なう事業に関するスタッフ。自分があげていくハードルについてきてくれているスタッフ。
本当に感謝なのだ。 ヨガスタジオでいうと、先生達、そして、先生の卵の人達、みんな、
ワークショップや勉強会など、自分の出すハードルや課題、質問に良く反応してくれていると思う。
最後に、結局ヨガを褒めることになるのだが、ヨガとは道と言われることが多い。
どの道があるのか? どのように進むのか? どのように進ませるのか?
周りに進む人がいて、道があるから、一番分かりにくい自分の位置が分かるのだ。
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