withコロナに必要な物とは?

2020年5月7日に最初予定していた3週間の緊急事態宣言を日本は終え、
さらに延長する素振りと共に、特に何をどうするかの指針もない状態でいました。

最悪の事態を想定していたわりに、感染者も増えなかったわけで、日本は生活の補償なしの自粛という曖昧なスタイルに対して、世界はしっかりとした補償の代わりにロックダウンで強制的な自宅待機というものでした。

数百年後には、神風が吹いたと言われるのでしょうか?
どうして、東京のような大都市がニューヨークのように混沌としなかったのか、まだ、ちゃんと説明できる人はいません。

ただ、言えるのは、自宅監禁生活ほど動物として心身共に不健康な状態はなく、
その生活を明けても人々は前を向いてなかなか思考を開始できないというものです。

w/ コロナ社会こそは、人々は恐怖と不安を払い除けて早く冷静さを取り戻して欲しいと願います。

そして、w/コロナという新しい眼鏡をかけて世界を覗いて欲しいと願います。

ただ、願います。(悪いことが起きないように・・・)

しかし、どんな眼鏡をかける必要があるのでしょうか?

人々は、ペットを家族のように可愛がるけれども、
その文化は人類がアフリカを200万年前に飛び出してから、
かなり後の1万年ほど前から始まっているといいます。

そのころの1万年前には、アフロ・ユーラシア大陸の限られたエリアに
数百万程度のヒツジ、牛、ヤギ、ブタ、ニワトリしかいなかったのです。(少なくとも遺跡などから分かっているだけで)

今日では、ヒツジが10億頭、ブタが10億頭、牛が10億頭、ニワトリが250億羽以上います。

彼らが死なないように大量の抗生物質で菌を殺されていて、餌代をけちる為に平均寿命の半分にもみたないうちに殺されます(屠殺されるのです)。

ニュースは、野生動物(コウモリ) から今回の新しいウイルスが生まれたというが、本当でしょうか?
(最近のウイルスだと、野生の猪とか、野生の鳥だとか、聴くことが多いです。ある時は、家畜の牛もいたけど、、)

娯楽で観るテレビ画面には、多くの動物が弄ばれているけど、
現実の世界で生き残っているのはごく少数だったりすることは、あまり語られません。

世界には280億頭以上の家畜がいるのに対して、
キリンは8万頭、4億頭の飼い犬に対して、オオカミは20万頭しかいないのです。
チンパンジーがわずか25万頭に対して人は70億人にも増えました。

野生のスペースにいる動物と、家畜として生活する動物の数とスペースを考えたら、
3密とかの問題ではないくらい、人類と家畜は密集して生きています。

価格競争により家畜が密室の中で身動きの取れない不健康状態で育てられて、薬剤まみれで、世界中を巡る。
このプロセスの中で新しい菌が生まれ、このような家畜を食する人々が、
病に倒れていっているのではないだろうか?
人々も密の中で運動不足で病んでいくのです。

すべての状況に欠けているのは、実は、自分自身への「愛情」なのです。

周りに優しくとか、環境に優しくとか、外に答えを見出してしまいそうだけど、
まず何よりも自分自身への愛情という眼鏡をかけて生活しないといけないのです。

欲望のために、怒りのために、エゴによって、自分を犠牲にして
「結果=報酬」を得ている人が世界中にいます。

自分を犠牲にしているのだから、周りの人や家畜にも犠牲を強制する。

犠牲にするのではなく、自分の行為を「捧げ物」にしましょうと、バガヴァッドギーターは語りかけています。

この精神状態こそが、「with 何々」では無いでしょうか?

w/ コロナ、w/ 食べ物、w/ 仲間、w/ 地域、などなど、
これが欠けた状態では良い関係が成立しないのです。

カッコいいことなど言うのは簡単だけど・・・
しかし、自分自身を受け入れるのは、決して簡単ではない。

カッコ悪い自分と向き合わないといけないから。

インスタ映えとか気にしているようでは、100万年経っても無理でしょう。

コロナが怖いと過剰にプロテクトして不格好に生きている人がいるが、
それを見ていると時折、美しいとすら感じる(はやく、恐怖という衣を脱いで欲しいけど)。

カッコ悪くても、恐怖と向き合っていく経験を、
捧げ物として生きているのだから、その活動は美しいもの。

その活動の中で、何が本当に自分に必要なのかを見つけると思う。
その足掻きの活動の中で、何が不必要なのかを見つけると思う。

家に引きこもっていたら、何も始まらないが、
学びの知識でもって外に出る準備をすればいいと思う。

これが、w/ コロナではないだろうか?

この文章をFacebookに、6/2/2020に投稿したのだけれど、
その後のニュースで世界は混沌とした状態に突き進んでいっていることを知る。

白人の警察官が、黒人を取り押さえて、
膝を押さえつけて殺してしまうという動画が世界中で拡散されて、
人権差別デモへと拡散されていく。

差別が無いとは言わないが、全ての白人が差別するわけではない。
自分を犠牲にして生きている生き物は、
周りの人や動物にも犠牲を強要する。

特に弱いとされる物や人に・・・恐れていたことが起きはじめてしまった。

だから、我々はひざまづいて謙虚な姿勢を捧げて、
自分自身への愛情を高めないといけないのです。

どうしたから?実現出来るのでしょうか?

呼吸のリズムに耳を傾けながら、身体全体にある感覚の余韻を楽しむのです。

今、世界に必要なのは「グローバル」ではない!
「gloove グルーヴ」です!!

周りの参加者と共に同じ呼吸のリズムを感じながら動くフロースタイル(ヴィンサヤ)のヨガが益々、
必要とされるのを感じます!

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