京都旅、2020年秋です。
今年はコロナ禍の雰囲気の中、旅が中々難しい年なわけですが、
逆に準備が色々と出来るという良い面もあるわけです。
京都は歴史が長いこともあり、時代と共に名所を巡る事にしています。
その楽しみ方は簡単に見えるようで違います。
時代背景に重なる名所を近場でどのように巡るか、
などのプランとなる情報収集を先にしておかねばなりません。
さらに、京都ほど歴史的な事件ばかり起きている場所ですと、
観ようとする場所の近くに異なる時代の名所があったりするものです。
時代により文化も流行も言葉から食べる物まで変化していきます。
もっと言うならば、時の流れまで違うでしょう。
それもあり、なるべく、あちらこちらに移動することなく、なるべく、近い時代背景のもと(例えば、ある人物に関係する事や人を中心に)、旅のプランを考えるようにしています。
前回は、愛知・名古屋が生んだ3大英雄の1人、
豊臣秀吉にフューチャーして京都の【洛南東エリア】をまわりました。
【洛南東エリア①】安土桃山時代
【洛南東エリア②】安土桃山時代
今回は、午後からの別件予定があったので、前回と同じ時代背景でポイントを絞りプランを考え、【洛北西エリア】の大徳寺を満喫しました。
今回は・・・
【洛北西エリア】
「フォーカス時代」→室町時代末期〜安土桃山時代 です!
前に巡った洛南東エリアから、いかに豊臣秀吉が京都で人気があったか、そして、徳川家康は豊臣家の陰すら消していった様子を感じました。
大徳寺には数々のお寺があり、織田信長が父親を供養する為に建てた庵「黄梅庵(のちの黄梅院)があったり、その織田信長を供養する為に豊臣秀吉が建てた寺「総見院」などがあります。天皇からの依頼で織田信長の盛大なるお葬式を行なった場所こそがこの大徳寺なのです。
安土桃山時代の数々の戦国武将の寄付があり、
多くのエピソードと共に楽しめるエリアでもあるので、
1回の訪問だけで終わらすにはもったいほどのエピソードを持っています。
織田信長を供養しながら京都・大阪を盛り上げた豊臣秀吉と、豊臣の気配を消し去りながら、江戸を中心に持っていく徳川家康の諸行無常な時代の変化を楽しめるというわけです。
この時代をリアルに楽しめるきっかけは、やはり、「へうげもの」という漫画だと思いますが、秀吉のエピソードが沢山あるわりには大徳寺は漫画にはあまり登場しないです。とはいえ、時代観に浸かりながら旅を楽しむ為には必読と言えるでしょう。
千利休と組んで織田信長を討つという陰謀を豊臣秀吉が組んでいたという斬新な物語が展開しますが、真実は誰も分かりません。しかし、昔と今の大きな違いは、ある大名が他の大名に送った手紙の内容などが、日本中の歴史学者でネットを通じて共有されてる点です。
江戸時代の様々な藩で保管されてきた手紙などの内容が日本中で共有されているわけです。
そういった数々の記録から新しい仮説が生まれているのが歴史の楽しさかもしれません。とは言っても、大名が送った手紙も事実と本音を言っているとは限りませんが・・・
そうなると、間違いない事実は起こった出来事です。
最終的に、豊臣秀吉は14歳年上の利休に切腹を命令するわけですが、その強引な理由(きっかけ)とされるのが、大徳寺の利休の2階(高い所)に祀られた利休像であったといいます。
その建物には入れないのですが、外から「金毛閣」を眺めつつ・・中にある像をイメージします。利休は180cmほどの長身だったそうなので、像も大きかったのでしょうか?
または、秀吉が利休に依頼して造らせたという庭を観に大徳寺の黄梅院へと足を向けます。織田信長が28歳で京都に来たときに父の信秀の菩提として建立し、さらに秀吉が権力を得る為に信長の葬式を3万人の護衛と共に盛大に行ったとされるのが、この大徳寺「黄梅庵」です。春と秋だけ公開される織田信長と縁のある「黄梅庵」と「総見院」は足を運ぶべき場所と言えます。
「黄梅庵」内で歴史的な激動時代を思い返しながら、ぼーっとしていると、寺の方に色々と案内してもらえました。
秀吉が利休に造らせたという、秀吉の軍旗の瓢箪形の池がある「直中庭(じきちゅうてい)」や、加藤清正が朝鮮出兵より持ち帰ったとされる釣鐘や、日本の禅寺としては最古の台所が残っていたりします。
大徳寺の寺を巡っていると、それは、禅寺で、その禅寺を観ていると、千利休がよく訪れていたとかあるのですが、当時の人は何をしに禅寺に通っていたのか疑問に感じました。いわゆる、坐禅など嗜んでいたのでしょうか?そういった坐禅の練習などは武士達はしていたのか?そのような疑問が浮かんでは消えゆく・・・
界の商人として活動していた利休が織田信長の茶頭となり、大徳寺の門前に住むようになる。さらに、秀吉の庭を作り、聚光院にも百積の石と呼ばれる庭を作り、さらに自分の墓を用意したといいます。
今回は「総見院」「聚光院」「高桐院」に訪れれなかったですが、それは、【洛北西エリア其の②安土桃山時代編】としてまた来たいと思います。
世界の富豪はヨガやメディテーションをたしなむけど、日本の文化人や教養人は、そのようなことをしている印象がまったくないのですが、織田信長や千利休なども禅をしていたのでしょうか?
とはいえ、ヨガのテクニックである「禅那」が禅となり、懐石料理、茶道、華道、ZEN、などと発展していくのは事実です。
大徳寺をぐるぐる廻りながら、本日のメインとなる場所の真珠庵に顔を出してきました。ここでは、2020年の秋の特別公開として百鬼夜行を身近に見れつつ、現代アートとしての襖絵展示があったのですが、安土桃山時代編とは時代が違うのでまたの機会に紹介します。
さて、安土桃山時代に戻りましょう。
この寺「真珠庵」の裏にあるのが、「大仙院」です。千利休が秀吉に茶を振る舞ったという茶室が残っている寺です。
入口に入ると住職さんに、ご年配の婦人達が群がって盛り上がっていました。昔にテレビなどによく出演していたようで有名だったそうです。
写真撮りながら、「はいっ ポーズ!」「わし、坊主(ぼーず)!!」って、言われて、婦人達が鬼のようにケラケラ、笑っていました。
利休もびっくりでしょうね。秀吉には気に入られるかもしれません。とか思いつつ、こちらのテンションも上がっていたのか、大仙院が観光客の求めているものを提供している寺だと感じました。
京都の夕方も満喫しながら、流行りのルーフトップバーにも顔だしてきました。
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