多様化しているのは・・・
どんどん変化して種類が増えていっているのはヨガの種類ではないと思う。
そこんとこが根本的に混乱と無知を招いている元なのかもしれない。
インターネットとかでも○○ヨガといかいっぱい見る。
だから確かにヨガの種類っていっぱいあるんだな~っ・・・って、思ってしまうが、
多様化しているのはヨガをする人々の種類なのだ。
前は流行に敏感な人たちが飛びついたり、精神世界への好奇心を持つ人達が飛びついたりだったけど、
今では何の目的なしに参加したりする人や、
なんとなく健康になろうと参加する人や、
本当に身体の不調を訴えてくる人や、年齢も幅広く、
女性だけではなく男性まで多様化している。
筋力がないことで自分の身体を支えれないことから、
ある意味柔軟な人から、
筋肉がしっかりついているから、
身体が硬い人まで
本当に多様化している。
1つ大事なこと。
ヨガは普遍なものなのだ。
普遍とは、広く行き渡り、何にでも当てはまり、何にでも共通することだ。
本質的に、ヨガの内容において、心の作用に関してのものであることが共通項だ。
現代人の特徴として(情報社会で騒がしいという特徴から)、集中力が散漫で、すなわち忍耐力が弱く、
新しいものに手を出したくなるのは分かるが、
絵を描くための画用紙をアレコレ選んでいる状態のようなもので
少し描いてはまた違う紙を選び、それを繰り返しているようでは肝心の絵は何も描かれていないのだ。
結局は絵を描く人が重要なのだ。
植物も種の時もあれば、芽が出るときもある。
葉が生い茂るときもあればつぼみが大きくなる時期もある、
そして花が咲くときもあるのだ。
その花が枯れ、力強く幹だけが残ることも・・・
その状態の変化が多様化しているのであって、
植物の種類が多様化しているのでは混乱するだけだ。
そしていろんな例えに自分が混乱してしまった・・・・
キャンパスに両手で絵を描こうとしたようなものなのか・・・
描き方と選ぶ色も重要だ・・・
ちなみに、ヨガというテーマで話しているがこの内容こそが普遍なのだ。
ヨガという文字を多くの習い事へと置きかえれるし、
「ビジネススタイル」とも置きかえれる。
「人生の生き方」とも・・・
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