始めてのmysore(南インド)ヨガプラクティス旅(17)キルタンナイト

(17)マイソール・キルタンに酔いしれる①

ヨガとは、生活(LIFE)だ。

自分的に言えば、
賢く生活するためのツール(道具、手段、方法)とも言えるのかもしれない。


ヨーガスートラしかり、孫子の兵法しかり、
先人たちの智慧は尊いのです・・・

孫子の兵法は闘うための知恵であり、
スートラに関しては賢く豊かに生きるための知恵が多いわけです。

生活するということは、エネルギーを使うこと。
エネルギーについての知識が、ハタヨガにはある。

特に近年、世界中で人気なタントリックなハタヨガでは、カラダを使ってエネルギーを使う、
口を使ってエネルギーを使う、ココロの動きでエネルギーを使うことを重要視しています。

今回は、口(言葉)と耳(聴覚)を使ってエネルギーを使うこと。

それが、 『Kirtan』 というプラクティス


スートラを読み上げることや、マントラを唱えること(チャンティング)、
も同じく口を使ってエネルギーを使うことだけど、
キルタンはどちらかといえば、キリスト教でいう、賛美歌と同じで、
インドの神々への感謝を口にしていくバクティヨガのプラクティス。

「ハーレルヤ!ハレルヤ!ハ・レ・ル・ヤ~♪」などのあれである。


マントラとは、仏教のお経のようなものだけど、短いのが「オーム」で、
キリスト教での「アーメン」です。
前置きが長くなりましたが、
インドでキルタンに参加してきました。

といっても、キルタンナイツを呼びかけているのが、
アメリカ人のマイクで、欧米的な雰囲気のキルタンです。

こないだ名古屋でジバムクティのジュール先生と開催したキルタンとも違った雰囲気でした。

毎週、金曜日の5時45分にココナッツスタンドに集合してみんなで出発します。
目指すは アンティ 叔母さんの家。 

彼女はむか~し、昔、ダンサーだったそうですが、
今は80歳を越えるお婆さん。

けど、みんなとキルタンをして、インドの神様を称えてみんなで
合唱をする行為こそ、無償の奉仕の活動であり、命の限りできるまでしていきたいということでした。


ヨガで言うところの、バクティヨガ(無償を捧げる、ディボーション的なヨガ)です。

先週に偶然、
カフェで知り合ったマイケルにあることを教えてもらい、
キルタンナイトに行ったのですが、
そのときは、アンティ叔母さんが体調が悪く(入院したそうでした)、
残念ながら中止になったのでした。


今週はちゃんと、開催されるということで、
やっといける!感がありました。

ココナッツスタンドに行ってみると、
けっこう集まっていて(先週は数名だったのに!)、
盛り上がること間違いなし!って感じでした。


自分は、同じ名古屋からのヨギを後ろに乗せて
アンティおばちゃんの所に向かうことに。

でも、大分のヨギが一人でいる。
聞いたら、原付で来る予定の人がまだ来てないとのこと。

それじゃ、多分、いけなくなるから、
後ろに乗りナ!となって、無理やり3ケツでの出発しました。
(インドあるあるです。)

どうする?乗る?乗らない?とかやっていたから、
集団とはぐれてしまい。。。先週行ったでしょと、
近くまで行くけど、正確には場所は分からない。。。

っていうか、先週は原付がまだなく、
リキシャで話ながら行ったから道順みてないし!

どうする?どうする?
そしたら、大分のヨギが友達に電話してくれて、
アンティの所から迎えに来てくれるって!

やった~!
生き返りました。

そして、ちょうど中間地点のナルパックという店で待っていると・・・
イラン人のイシ○○君がバイクで迎えに来てくれました。。。

ふぅ~~
ところが・・・・
今度は自分の原付が動かない!!!

その日の昼に、原付が動かなくなって、
新しいのに変えてもらったばかりなのに・・・

そうです。
インドではガソリンは空にして返すのが普通だそうです。。

自分は、車をお借りしたら、ガソリンは満タンにして返すのが礼儀。
社会で生き残るための密かなルールと厳しく、虎の門をくぐってきたから・・・

その固定観念に完全にやられました。。。

しかたない。。。自分はその時点で参加を諦め、
後ろの2人だけでも、連れて行ってやってくれ。。。
と、思いました。。。
すると、(つづく・・・・・)

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