もしも、悲しいことがあったり・・・・
辛いことがあったり・・・
傷つくことがあったり・・・・
つらいと思うことがあったり・・・
そのような経験をしたということは、
外の要因が何かしら自分に影響したんだと思います。
外で起こった、起こっている出来事を嬉しいと思うのか?
悲しいと思うのか?
は、自分の想像力(とり方・見方)によりますが・・・
傷ついた経験を持っているのならば、
何かしら(自分を)傷つける行動の物事やことをした人がいたからでしょう・・・・
何故、人は誰かを傷つけるのか?
弱い犬(小さな犬ほど)よくほえる傾向がありますが・・・
あれは、吼えるという行為によって自分の気持ちを落ち着かせようとしていると言います。
ということは、そうとう自分自身が怯えているのです。
我々は決して強い生き物ではないということ。。。
便利な道具、強い薬が出てくれば出てくるほどに自分自身の心と身体は弱くなっていくし・・・
それにうっすら気づいているし・・・
それらの恐怖が自分自身を守るために、別の言い方をすると、
バリアーを張るために攻撃的になってしまう。
それが、結果的に誰かを傷つけることに・・・
時に強烈な批判する意見(誰かを傷つける可能性のあるような主張)があったとして・・・
その意見を見たときに、それに同調して「そうだ、そうだ」と思うのか?
逆に、その強烈な批判が自分に来るのでは?
と、自分を中心に見て、その恐怖より「そうだ、そうだ」と同調するのか?
それとも、そんな批判をしてしまうほど、何かに怯えて生きているに違いないと・・・・
勝手に想像して、「可愛そうに・・・」と、同調するのか?
そんな、ひどい批判をする人は人徳のない人だと。
関わらないようにと、意識を遠くに置いて、無関心でいようと努めるのか?
人によってその波長を合わせる作業は異なることに気づきます。
違った波長は自然に何かを傷つけてしまう・・・
異なった意見を持っていても、想像力でもって異なった波長を理解し、
どんな違った波長なのかを感じてあげる作業をする。
それがもしかしたら、自分の敵意を少なくしていく方法なのかもしれない。
過去にこういった感じの、ある会話があった。
誰かを殺した凶悪犯のことを、テレビで報道していた・・・
そこで、自分が・・・
「この人も可哀相だな・・・・もしかしたら子供がいるかもしれないし・・・単に状況が悪くて起こってしまったことかもしれないし・・・もしかしたら、動けない両親などいたりして、しっかり看病などしているいい人の部分もあるかもしれない・・・・」
と、言うと・・・
それを聞いた相手が・・・
「信じられない!何故にそんな、人を殺すような凶悪犯にそう言うの!悪い人に決まっているじゃない!テレビも警察も酷い人として扱っているし!そんな凶悪犯を良くいうなんて頭がどうかしている!」
と・・・・
それに反論しても、(相手は自分の頭がオカシイと思ってしまっているので)、何を言ってもしょうがないのだけども・・・
敵対する気持ちを持ってしまっている人には、
新たな敵対する気持ちが産まれるだけなのだろう・・・か?
ヨーガ・スートラ2章35項にあるように、
敵対する気持ちによって、誰かを傷つける行為を行動においても、言動においても、気持ちにおいても控えていく作業(努力)が、その連鎖(暴力が暴力を産む連鎖)の輪廻を断ち切る方法である。
ということなのだろうか?
じゃあ、どうやってその敵対する気持ちを控えれるのだろうか?
その解決の秘訣は人それぞれだろう・・・・
自分が共感できる人の方法に従うのはいいのかもしれない・・・
自分においては、すべての現象(出来事)が起こる過程においては、50対50(フィフティーフィフティー)で、良い部分も悪い部分も含んで過程がなされている。
という自分の信じるルールから上の会話がなされたんだけど・・・
それを上手く説明できるほど、まだコミュニケーション能力がなかった・・・
たしか・・・殺人事件なんかで50対50なんてない!100対0でその凶悪犯が悪い!
だって、人を殺す人は悪い!悪だ!って習ったもの!と、言われた気がした。
自分は・・・・会ったこともなく、自分で判断したわけでもないし、状況も知らないし、
すべて悪い!と、白黒つける行為自体を疑ったわけで・・
もしかしたら・・・いつくかの要素が重なった結果での出来事かもしれないし・・・
その結果自身は良くないことなので、責任を取らないといけないわけで・・・
そもそも、考え方自体が違うのか?
あれは悪い!これは良い!と、決め付けることは簡単で、自分の気持ちは楽になれる。
楽に生きていくほうが幸せなのだろうか?
自分がこだわり過ぎているのだろうか?(いわゆるめんどくせぇ~のか?)
それとも、考え方が柔軟すぎるのか?
心の奥底で、本当に悪いのは社会だと決め付けている自分がいるのか?
相手の考え方が硬すぎるのか?
同時に色んな状況が考えられて、それを上手く説明できない自分に苦しみ・・・
そんな自分の弱さに傷つきながらも・・・・・次の機会には理解を深めれるようにと、
頑張って生きていこうと・・・
そういう次第なわけです。。。
と、気づけは反省文となっていました。言い訳ともいうけど・・・
コメントを残す