2013年は自由だ!!

こないだFacebookで、自由に関して触れたら色々なコメントを頂けたのです。
未熟な自分は、
そう簡単には『自由』という概念を
その場で表現できなかった。
ということで、『自由とは?』
…を、お楽しみ下さい。
今まで自由人だと思っていた人々は、
自由奔放でわがままで不自由だったのです。
自由について考えるているこの時間は、
不自由だという矛盾を楽しみながら…
つづってみました。。。
まさに!時間という概念を意識すると、自由を理解できなくなるのです。
なぜなら、太陽光が広がり進むスピードを我々は時間とよんでいるからだ。
その時間の流れが、自由というものの誤解を生む原因ともなっている。
2時間することないから、今から自由ですよ、とか、
規則が厳しいから出来ることが少なくて不自由だとか、
思うがままに行動することが自由だ、とか、
本当に色んな意味で自由は色々使われているのだ。
大事な考えから始めると…
真実・真理という存在の前には時間という速度は吹っ飛ぶのだ。
あぁ、夜空のお星様がキラキラ綺麗!
と、今、見ている星の輝きは何万年も前の輝きに対していっている。
光の速度がその星の輝きを我々の目に運ぶのに何十万年もかかるのだ。
言っている時には、もう、その星はないかもしれないのだ。
あたかも、今、キラキラ輝いている、生ものを見ているように感じている光は
遥か昔に輝いた光を見て、感じているのだ。
何もショックを受けて欲しくて、冷めた目で世間を見て欲しいから言っているわけではない。
それくらい、目の前の感覚と真実にギャップが在ることを知って欲しいだけだ。
自由とは、制限された物を気にしないことを言うのではない…
道が2本の別れ道があり、どっちを選ぶか?直感で選ぶことができる人を自由と言わない。
悩んで、悩んで、苦しんで選んだとしても、それも自由なのだ。
何が本当の自由なのかは、自由でないものを見ていくと見つかるかもしれない。
選んだ道に対して、進みながらこの道で大丈夫だろうか?と、不安がること。
あっちの道の方が良かったんじゃないだろうか?と、不安がること。
今まで歩いて来たのは無駄だったんでは無いか?と、不安がること。
これらの状態が自由でない状態なのだ。
制限は、生きている以上、どんな状況であれ存在するのだ。
制限やルールや規制や、暗黙のルールは見えないようで存在する。
それを無視する勇気を持つ人が自由ではないのだ。
制限に気づかず突き進む人も無謀であって自由ではない。
目の前の制限に確実に気づいていながら、
その中で進んだ一歩に後悔せず、次の一歩への恐怖をいだかない人。
一歩一歩に集中して、その瞬間瞬間に存在し、
時間という流れの影響を受けていない人が本当の自由な人なのかもしれない。
ソレがソレであるが状態(まま)を受け入れているのだ。
そして、受け入れている自分の状態を感じれる人が自由人といえるのだろうな~

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