不思議な感覚

ヨガの練習を続けると身体に何かしらの変化がおこっていきます。
この変化は新しい状態へと進んでいくようにも思えるし、
元々の姿へと戻っていっているようにも感じます。
それは心にもいえること。
新しい考えがアップロードされているようにも思えるし、
元々の考え。
すなわち、世間が作り上げた常識だとか、
偏見だとか、固定概念が取り外されていくようにも感じます。
確かに、核(コア)となる性格は2~3歳までに構成されるともいいます。
そこから人間関係、家庭環境、社会、文化の影響を受けて
感情に色んな付着物がついていき、それらが膿(うみ)のように
エゴを作り出している気もします。
(ある人などは前世の影響からもあるといいますが、自分は信じるどころか、
分からないとしか言いようがないと思ってます。遺伝子は何かしらの影響を精神に
働きかけると思ってますが・・・)
自分が作り出す人間関係も、社会構造も、色んな仕組みも、
がむしゃらに形づくっているのではなく、
ぐねぐね道を歩く時に、自分が自然と道に沿って歩いているように、
自然とその周りを構成するモノ達によって出来ていく(構成されていく)気がしてきました。
芸術家の作品も、数式や方程式によって出来るというより、
迷いや、こだわりや、偏見や、誰かの目を気にすることなどを繰り返しながら、
感情やエゴの邪魔が取り除かれた向こう側に、既に用意されているもの
なのではないか? 
と、思ったりもします。
ただ、その用意されているものが、その時代や文化に受け入れられるか?
同じ作品が既に誰かによって世に出ていないか?
などが
成功と関わる要因なんだろうけど。。。
それは作品自体の存在感とは関係ないことだったりします。
怒りの感情も自分とは違う所から湧き水のようにあふれてくるもので(天災のような感じで)、
無理に押さえ込んだりせずに、その流れを見るしかないんだな。。。と。
自然とニョキニョキはえてくる枝は仕方ない。
(他との関係性のもと切らないと行けない場合もあるけど。)
なんてことを静かに感じていると。。。
自分自身が庭で育てているハーブとあまり変わらないように感じてくる。
水をもらえれば育つし、なければ葉っぱは少なくなっていく・・・
不思議な感覚なんだけど、これもヨガの練習や勉強を通じて得られた感覚だったりします。
このような感覚は誰とシェア出来るのだろう?と、思ったりもしますが。。。
コミュニケーションは言葉が通じないと感じた時から必要性が生まれるのだけども、
ちゃんとした意思疎通:コミュミケーションが出来ていないことすら知らない人達が多い現代において、
この不思議な感覚を大事にすることが新しい世界を作るのではないか?
と、ぼんやりと曇りがかった世界が見えてきている状態です。。。
小さい頃より多様性と環境適応能力が自分を高める術だと信じてきたのですが、
多様性を持つために何をしたらいいか?
環境適応能力を持つ為には何をしたらいいか?
という具体的な方法などはなく、適応しようと周りを感じるアンテナの感度を強くする方法よりかは、
情報を受信する受信体(パシーヴァ)が丈夫であることが重要なんだな。。。
と、感じたりしています。
何が言いたいか良く分からなくなっているのですが、
言いたいことが上手く言えてないとも言いますが。。。
この言いたいことを、この感覚を表現できるように頑張りたいと思います。

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