伝える内容が変わるのではない、表現が変わるのだ。

世の中が完全であると思えたら、最終的に感じれたらいいなと思う
いつも感情や周りの勢いに振り回されてグルグルしている人々を
みると不完全であると思えてしまう。
しかし、不完全であるという集合体の完全体が世界なのだろう。
世界(大宇宙)という多くの要素をミックスした巨大な空間は
それ自体がいつも完全にバランスのとれたもののはずだから。
瞬間瞬間で過去に引きずられ、未来にほんろうされている
不完全な自分が悩んだり、完全なものを受け入れるのを拒んだり
しているようだ。
大事なのは完全なものに対して自分がどういう態度を示すかだ。
その選択肢を見つけないといけない。
その選択肢があるのだということを知らないといけない。
ヨガのレッスンでもそうだ。
自分はいつも何となくのテーマを用意しているものの(時に目標とするアーサナだったり、
時に伝えたいヨガ哲学だったり、ストーリーだったり。)、
その場の生徒さんたちの様子によって伝え方を変えている。
ちょっとヨガが分かる人達や、まったく初めての人達、
何年もしているけどある部分はまったく知らない人達、などなど。。。。
そのような不完全な世界で完全なヨガレッスンを待ち構えているのだ。
みんなが・・・
彼等に勝手に理解しろではなく、大事なのは彼等に自分がどういう態度で接していくかだ。
伝え方を変えるのか?
声の大きさを変えるのか?
何度も言うのか?
あえて失敗してみるのか?
反対をしてみるのか?
褒めるのか?
かきたてるのか?
内容は昔も今も変わらない。しかし、表現は変わるのだ。
少し前よりヨガを連続的に学ぶコースが始まった。
昔と今ではヨガのイメージも少しずつ違っているようだ。
ヨガ雑誌や本がいっぱいあって色んなイメージが入っている。
それぞれ色んなヨガ講師やヨガインストラクターから習ってきた人達ばかりだ。
知っている言葉やポーズ名など1つなのに、新しい感覚や取り組み方があったりする。
それぞれ理解したり感覚を得る場所も個性的だ。
その個性的な者たちが作り出す完全体に不完全な自分が
どうバランスを取っていくのか?
そう。
学ばしてもらっているのは自分なのだ。
いつか完全なものへと1つになる感覚を得る日を夢見て……

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