30代を過ぎて本当に大事だと思うことがある。
精神を育てるプラクティスを
しているかどうかで、
その後の人生が大きく変わるという事。
剣道、柔道、合気道、武道、書道、華道、茶道、
そしてヨガや太極拳などのエナジーワークや瞑想や禅など。
実際にプラクティスを自分でしていたり、している人を見ていると、
その実践の過程で、
(1)他ゴト考えながら練習している人
(2)何かに集中して練習している人
(3)集中してそうで、ただぼぉーっと何も考えてない人
(4)集中しようと努力しつつ、また他ゴト考えて、また集中して…を繰り返す人
…の人達がいる。
結局は、それぞれの自分の状態にどうしてそういう自分がいるのかを深く考えないといけないのだと思う。
何かについて徹底的に考えることが仕事であり、
それに従事しながら、それが繰り返される事を「生きる」ことという。
残念ながら、考えなくてできると思われるような(実際はそうでないと思うけど)仕事は、
機械にとってかわるようになっていく。
これが現実なのだ。
昔の仕事と比べると、考えない仕事は機械がして、
数パーセントの改善を人が考えるのが人の仕事となった。
そして同時に、
我々人類は考える事によって生まれる頭の中のゴミに悩み苦しむのだ。
だから、ヨガなどの精神的なプラクティスがそのゴミを燃やしてくれる。
我々は、ゴミを生みださないと機械のように死んでしまうし、ゴミを燃やさないと腐ってしまうのだ。
その考えを元に考えると、
120歳まで生きることができるなんて言うのは嘘っぱちだと分かる。
ゴミをだして、それを燃やしてを正確に繰り返すのは難しいからだ。
現代技術は、機械のように生きながらえる技術を持ってしまったからある意味恐ろしいのだけど…
何が言いたいかというと…
大人気ないとか言わないで、
怒り、悲しみ、喜び、喚き散らして、頭の中のゴミを撒き散らかそう!
そして、そんな自分をしっかり見つめてゴミを燃やしていこう!と言うことだ。
10代、20代の頃は勢いで色んな事にぶち当たり頭のゴミなんてその日のうちに燃やしていたと思う。
だから、30代過ぎたら頭のゴミを燃やす精神プラクティスが必要だと思う。
ゴミを完全に燃やす方法は沢山あるから何の心配もいらない。
怖いのは、ゴミを埋めてしまうこと。埋めれば、埋めるほど、
ぼーーっと、思考を停止する癖がついてしまうことだ…
コメントを残す