ヨギ的社会の見方①(お金と働くことについて)

仕事とは?働くとは?

それは、「お休みってありますか?」
という素朴な質問があったから考えた。

その時に、とっさにでた答えは、
「休みは1日もないですよ。」
と、自分で説明しながら自分自身で違和感を感じた。
この「休み」と言う意味は
どのような意味合いでされているのでしょう?
この「休み」とは、
「休んでいない時=働いている」
の逆のことではないだろうか?
と…
これは、どの様な意味かと言うと…
仕事とは、
「お金を手にする為の労働である」
という考えを持っている人にとっては、
その「お金を得るための実質的な労働」をしていない時を
一般的に「休み」と呼んでいるのかもしれないということだ。
Working2
そもそも、
「お金」とは英語で「カレンシー」
と言われ、英語の意味合いは「流通」
であり流れていくもの、である。
「物」と「物」をスムーズに(流れるように)交換するために使われるのが「お金」であり、実際は目に見えない「力」なのです。
目に見えない力?
そうです。まさに、ヨガや東洋的な
思想の観点からみると、
ヨギ的に言わせれば、
「お金」とは、Purāṇa なのです。
money
金は天下のまわりものとかいいますけど、国が活力を循環させる公共事業を減らしたら日本は不況になりました。
紙幣(お金)をまわせばいんでしょ?
と、紙を刷りまくっても、
景気は良くなりません。
話が脱線しました。。。
さて、
冒頭のテーマに戻りましょう!
「仕事」とは?
すなわち、働くとは?
ヨガ的、または、バガヴァット・ギータ的に言うと、
自分の属性をみつめ、
その時代の宿命を受け入れて
目の前にある行為に専心すること。
 work1
簡単に言うと、
自分にあっていることを見つけ、
結果をかえりみずにそれに没頭すること
それが「仕事」だということです。
日本国憲法の27条でも、
「すべて国民は、勤労の権利を有し、
義務を負ふ。」とあるので、
その義務からは基本的には逃れることはできません。
教育、納税に並んで、
いわゆる3大義務ですからね。
逃れられないからこそ、
しっかりと向き合い、仕事とは?
自分にとっての働くこととは?
を、考えることが大事なのです。
その意味において、
目の前にある自分がやるべきことに
毎日冒頭していない時はあるのだろうか?
いや、ないな…
となっていることに気づいたりします。
さらに話はまたそれますが、
この「仕事」と「勤労」について
理解が深まると、
2015年に騒がれた「ピケティ」の
言いたいことも分かってきます。
お金を生み出そうが、そうでなかろうと、
「勤労」に励む人々が少なくなり、
預金だけをして、その金利で楽に生きていこうとする人々が増えてしまうと、その国は滅んでしまいますよ。
…と、いう話なのです。
土地などを持っているから勤労せずに
所有していることからの家賃で手に入れた「お金」で勤労せずに生活していこうという姿勢の人々が増えると、その土地どころか、その国が滅ぶという説だったのです。
そういった観点から
経済について語られたことがなかっただけに、
ピケティの発想は斬新だったわけです。
 ピケティ
自分はかなり前から
東洋思想を取り入れた経済や経営を
研究しているので、すぐに意味を理解できました。
「働く」とは社会に Purāṇa をフローすることであり、効率的に循環させることで入ってくる流れも出て行く流れも健全になっていきます。
もちろん、その流れは絶えず自分自身を通っていくので、自分自身の状態を良いものにしておく必要があり、それがまさにPurāṇaを循環させるプラクティス、ヨガの練習というわけです。
自分の欲やエゴを満たすために、周りの人々のフローを無視して貪欲に拡大していく会社とかありますが長く続きません。
世に聞くサステイナブルな企業とは、健全にPurāṇaをフローしている企業だということですね。
人も同じです。
この文章に何度も登場している、
専心という言葉の意味は、
その時、その時に、登場する欲望や
誘惑に、すなわちエゴに影響されずにひたむきに、
でも冷静に取り掛かると言う意味です。
時には、
道を踏み外してしまうこともありますよね。
ついつい結果を追求したり、結果に羞恥してしまったり…
ひたむきなんだけど、
専心できていない状態です。
そのような枠から脱するためにも
ヨガのような精神鍛錬が普段から大事なのです。

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