
2025年の参議院選挙を終えての感想は、
一言でいうと、「良かったな」というものでした。
何が良かったのかと言うと、それは、選挙に行く人が増えて、
選挙率が上がったという、その1つに尽きると思います。
このように聞くと、多くの人は、そうだ、そうだ、と言うでしょう。
選挙に行く人が少ないと、大企業からの損得に縛られた人々が偏った人々を選んでしまう。
だから、多くの人々が選挙に行くと、正しく人を選ぶからよかった!と、考えるからそうなります。
しかし、実は逆で、多くの人たちが「いいな」と思って選ぶ人なんていうのは
正しい判断であった試しがない!
これが歴史を知っている者たちの共通意見なのです。
しかし、歴史を学んでいる者たちが少ない。
逆説的にいうと、その時点で正しい判断ができないと言う証明でもあります。
物事を、社会を、歴史を、知らない人たちが選ぶ決断など正しい決断のはずがないのです。
だから、選挙率が上がって選ばれた人がいいかどうかは、
それは、運が良かったかどうかだけとなります。
そのことを、我々は今後の未来の日本から学ぶでしょう。
それを学ぶことができるきっかけとなる可能性が、
未来への希望と言える点で、今回の選挙の良かった点です。
バブルが崩壊し、日本が弱くなったところで、アメリカからの様々な命令が入り、
さらに、大企業(グローバル企業)からの命令が入り、
彼らの思惑どおりに日本国民は貯蓄を徐々に減らしていき、今日があります。
その後、コンピューターの技術や、再生医療等の技術は、目が出る前に潰され、
技術や特許はグローバル企業に奪われ、日本国民はどんどん自分自身の自信を失っていきました。
もともと、たいしたことないのに自信過剰になっている人々は仕方ないですが、
教養があり色々と思考できて、実力のある者たちも同じように自信を失っていったのです。
その結果、コンプレックスとして、根が深い感情を無意識の中に宿すようになってしまったのが
今の現状です。
SNSで世界一、ネガティブな書き込みをしているのが、
日本社会の劣等感ゆえの負の感情なのです。(それを操ろうとする炎上愉快犯と共に)。
この劣等性が感情に働き、何か嫌なものや、未知なる恐怖は、徹底的に嫌悪感で遠ざけ、
そして正しい判断ではなく、ただ好きだと言う好感が持てるという、
それだけの基準で人を選ぶようになってしまっているのが日本の、そして未来の世界中の人々の姿です。
そこで正しい未来を導くであろう人が、まともに選ばれるはずがないのです!
我々に残された道はこの「好き嫌い」という、マインドの作り出す「障害(ヨガではグレーシャ)を
いかに乗り越え、過去を学び、そして正しい未来を想像する力、
すなわち、想像力が重要になっていると、知ることです。
ただ、知ることです。
その第一歩として、ただ選挙の参加率が上がったから、偏った選択から脱すれば、
公平な良い社会が待っているはずだというリベラルな空虚な希望から、
脱することができるかもしれない!
それが今回の1つの希望と言えるのです!
その結果、長い道のりの第一歩になるかもしれないというリアルな希望の光がさしてきます。
日本だけでなく、アメリカ、韓国も高い選挙の参加率を見せているけど、
そこからは、たいした人が選ばれてなかったと絶滅するのではなく、
何が正しい未来を指し示してくれるのか?
厳しい現実を語ってくれて、それを受け入れれるような社会を創らないといけないと、
我々が覚醒するチャンスが上がったわけです。