大いなる大儀に意識をおいて瞑想しよう!

本題に入る前に、まずは告知から・・・
『大いなる大儀に意識をおいて瞑想しよう!』
(MEDITATE FOR A CAUSE!)
■ Meditate For A Cause!
■ 日時: 7月24日 20時~(約1時間~)
■ 参加費用:ドネーション(任意です)
■ 場所: MySOUL8 Yoga School centaral A studio
■ カルマヨギ: Nea (通訳:Yoshi)
■ ドネーション(寄付)先の情報は以下をクリックしてください
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詳しくは、ここをクリック!
チェ・ゲバラの映画を見た。すぐレンタルになったり、週末なのに借りれるということは
人気はないのだろう・・・
その中で、ゲバラが言っていた。国を動かすのに重要なのは、『』だと。
通常、毎日の生活で出てくる(カップル間などでの)、愛という言葉は何か使いにくい・・・・
そこに真実を見つけにくかったからだ・・・
見返りと、自己満足と、自己陶酔が充満している。(別に悪いわけではないが・・・)
ゲバラが言っていた・・・「もし子供が玩具を1つ手に入れたら・・・後に、2つ3つと欲しくなるだろう・・・これが資本主義の思想だと。この感覚が個人レベルならいいが、団体となり、
もっと巨大な国レベルで思い始めたら・・・
資源がもっと欲しい・・・
貨幣の力がもっと欲しい・・・
あれも、これも・・・地球から削り取ったらいい・・・
力の弱い人達(貧困層の人達、国々)から搾取したらいい・・・
と、なってしまう。
そうならない為には?
『愛』だ。」
恋人を愛するとかの愛と、上の『愛』は、端(はし)と橋(はし)みたいなものだ。
意味が違う。
東洋思想のない西洋においては、対極において1つという発想がないのだろう・・・
大と小、全体と個人、全体主義(社会主義)と個人主義(資本主義)、という図式なのだろうか?
相手も愛するし、自分も愛する、そして相手と自分が作り出す全体も愛する。
そんなことできるのか?
できるか、できないかが重要ではなく、
できるように練習(実践)することが大事なのかもしれない。
この文章を読んで、なんとなく共感できる人(ヨギ)は、問題ない。
問題ないという意味は、心配しなくてもいいという意味だ。
身体で、心で、何かを感じているからだ・・・・
問題は、関心すらなく・・・興味もなく・・・
運動や健康に興味ある人は、自ら、ジムとかに行って動きはじめる・・・
でも本当に必要なのは、興味すらない人達なのが実情だ。
そういった人は、どっかに病気が出て初めて運動を始める・・・
それでは、遅い・・・
幸せな人はどんどん幸せに・・・、不幸な人はどんどん不幸に・・・
この流れを断ち切ろうなんて、最大のエゴなのだろうか?
と、話は大きくずれたが・・
去年のインドで、原付を手に入れる前は、徒歩でいた。
土地勘を手に入れるには、歩くのが一番・・・
そして、何度も、何度も道に迷い・・・知らないところに迷い込んだ。
南インドのマイソールという町。
その中でもゴクラムというAshtanga Yoga の教室がある場所は裕福な人々が
住むエリアだ。
でも、30分も歩いていると景色は大きく変わっていく・・・
貧困層と裕福層が大きく入り混じる国、インド・・・
そういえば、この国もガンジー流の非暴力(何も傷つけない→自らを大いなる大儀に捧げ、
愛でもって報復しない→結果、大いなる大儀によって救われる→独立)が大きく影響した国だ。
去年は、自分がいたエリアのすぐ裏に、狭いところで33人もの身寄りのない子供が
すむ孤児院があるなんて知らなかった・・・
この孤児院の基金のウェブサイトを読むと書いてあるのだが、日本円の数千円で教育が受けれたり、最低限の食事ができたり・・・
自分にはまだ見なくてはいけないことがあることを今回知った。
知ってしまったからには、目を反らさずに経験としたい。
たとえそれが目を反らしたいようなわずらわしい障害だったとしても・・・
障害をクリアする、乗り越えようとする先に・・・むしろ、自分に本当に必要なモノはいつも、
障害の向こうにあったりする。。。
さてさて、大いなる大儀に意識をおいて瞑想しよう
瞑想しようといっても、他のことから少し身を離して、彼らの現状に目をそらさずにおこう。
この現実から・・・・という意味だ。
宇宙や大いなる神的なものに想像を膨らませ、陶酔する瞑想ではなく・・・

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