上から目線。

古い友人がいる。
近くから見ているといつも思う。
なんて不器用なんだ。
相手も自分に対してそう思っているのかもしれないけど、
ハタから見るとそう見えるものだ。
そんな友人に良かれとアドバイスする。
もちろん、
最高のアドバイスをしたいから、状況分析は冷静だ。
ここで大事な事が1つ。
感情豊かな人と、表情豊かな人は違う。
人はつい、表情豊かで人懐っこい人を暖かい人と思い、
冷静で表情があまりない人を冷たい人と思ってしまう。
脳学者の茂木さんも言っていたが、心の暖かさは知識の量に
比例する。多くの事柄を知識で持って色んな角度で見れるから
柔らかい心が産まれるのだ。
時に、多くの知識は散漫する心も作り出すからバランスは難しいのだが・・・
話を戻すと、
冷静な状況分析から最高のアドバイスをしたいと願う気持ちは
ハタから見ると、上から目線の行為に見えるそうだ。
実際に行われている力(みたいなもの)の流れを言うと・・・
(その1)問題を抱えている人がいる。
(その2)その人に取り巻く環境がある。
(その3)その人が行動Aをすると、結果Bが起こり、
(その4)そのBのせいでCが起こり、
(その5)それがDという結果を産む・・・
(その6)また、その人が行動①をするとなると、結果②が起こり、その②の
せいで③が起こり、それが④という結果を産む・・・
と、思われる・・・・
などなど、パターンは無限大だ。
大きく事態が変わると思われるパターンを予想して、
全部を伝えるのは時間がかかるから、
その選択肢を伝えるというアドバイスをしているのだ。
この場合だと、Dってことか④ってことが起こり得るよと。
そして、自分で責任を持ってどの道を選ぶかを決めてくれと・・・
小さい頃より、一方的な感情であいつはいいやつだ、とか
あいつは悪いやつだ、とか決めつめたものを押し付けるのは
好きではなかった。
だから、幼少よりアドバイスの仕方は同じだ。
起こりうる選択肢を一緒に考えるだけ。
冷静に。
これがハタから見ると、
上から目線で物を言っているように見えるらしい。
確かに、問題を抱えているから解決の行動のために
選択肢が必要なわけで・・・・
<解決が必要な人> と <選択肢を見つける人>
の表面を見たら、状況に上下があるようにも見える。
しかし、選択肢を見るけるためには、相手が悲しみを持つのなら
自分が持っているかのように、その位置まで同化し、
相手が嬉しい環境になれるなら、自分が嬉しい気持ちでいるように
その波長を合わせる必要がある。
なぜか?
自分が嬉しいと思うときの行動Aと、
相手が嬉しいと思うときの行動Aは違うからだ。
自分が悲しいと思うときの行動Bと、
相手が悲しいと思うときの行動Bも違う。
自分が喜んでいる時の行動Cと、
相手が喜んでいる時の行動Cも違う。
自分が悪いことを考えている時の行動Dと、
相手が悪いことを考えている時の行動Dも違う。
社会は、自分と相手とその周りの人達と、無視した方がいい人達
から出来ている。
今までは、アドバイスが必要な相手だけが良くなるように
集中しすぎて周りなど見えなくなっていた・・・
最近はやっと大人になり始めたのか、周りの人達がいることや、
無視した方がいい人達もいることに気づき始めた。
アドバイスの仕方にも気を配らないといけないのだ。
将棋をしてればいいのではない。麻雀のようだ。
2プレーヤーではなく、4プレーヤーのような感じだ。
あの波長を合わしている瞬間は、上でもなく下でもないのだけど・・・
アドバイスされている人にとって、まさか相手が
そんなことをしているとは・・・想像もつかないのだろうね。。。
ちなみに、この考えは、あるヨーガスートラを見たときに
ハッとするぐらい繋がりました。
分かる人(ヨガの先生達)はもう解かっていると思いますが、
PYS1-33です。
興味のある人はスートラ本を開いてみてくださいね・・・
って、言い方が上から目線なのかな?(笑)
という内容に対してヨガヨムSNSでの、Pさんよりの返事・・・
アドバイスはムズカシイですね。
気付いてても、出来ない事分かってるのに、言われてしまって キレたり
何年か経たないとピンとこなかったり
でも言ってもらえる事は、心配してくれる気持ちがある 良い人がいる訳だが
でも やっぱり
当たってるだけに、頑張ってるのに否定された気がしてムカッとしてまうこと多くて、反省してます。
怒らず、受け入れるのはムズカシイっす~
>P
おこがましいから上からでも下からでもない位置からの助言をしているだけど、実際は声が届かないのは事実。
強引な上からの命令に近い助言の方が効果的なのは分かるけど、同じことをまた繰り返すだけだろうし・・・・
感情に対する自分の反応をゆっくり見ていく練習は自分でしないと
いけないし、難しいです。。。。
Uさんからの返事
相手が自分をどんな風に見てるのか?によっても伝わり方が「上から目線」に伝わるかもしれませんよね。結局、答えは自分の中にあるものだから、フラットな状態での傾聴が大切なんだとうなあと、いつも感じます。難しいけど…
>U
これが難しくて、実はみんなヨガの練習から離れていってしまうのですよね。。。。
これがヨガの練習の目的なんだと知らない人も多いし・・・
絶えず答えは自分の中にある。。。それに出会うのは難しい。。。
気づかせるのも難しい・・・頑張ろうっと!
(補足)
目線はその対象を視覚にて取り込む作業の距離感ともいえる。
その距離感をしっかり計れている人はその対象がはっきりと見えるし、
その距離感を大事にしている人は取り込む作業を強めたり弱めたりできる。
この考え方の先には・・・・集中という意識をリラックスして強く取り込むという
瞑想へとつながるような作業があると思うのだが・・・
恋愛のような愛や、プレゼントを渡すような優しさに瞑想する瞑想と混乱しがちなので、
この辺で止めとこう。
これがホントの上から目線的、攻撃的、文章だ。
本文との比較の為に残す。

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