ガネーシャの壁掛け

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これは4年ぐらい前にバリ島で買った布製の壁掛けだけど、ヨガスタジオの壁にかけてみると怪しさ満天!
でもスタジオの5周年のイベントの off The Mat では使います。
実は・・・5年も前からこういうイベントをするのを想定していた・・・
もちろん、完全に同じものを想定していたのではなく、
普段スタジオでヨガを真剣にしているのだから、スタジオから飛び出すときはお祭りにしたい!
という、テーマで音楽や食べ物を通じて楽しみたい!というイメージだけ。
イメージしている事や描いている事って中々実現しないものだ。
昔なら、勢いで形を造り上げたのだろうだろうけど、結局は主催者の独りよがりに終わってしまう場合が多い。
情熱や確信を持っていることにより、忍耐がうまれ、具現化できる気がする。
もちろん理想通りの部分ではないところもあり、予想以上の部分もある。
総てのシナリオはマルチタスクによって同時進行しているのだ。
最終のイメージを持ち続けていれば、色んな道の選択肢を通りながら、キャスト(参加者)が変わり、
方法が変わって行きながら、予定を違ってもゴールは同じになるのだ。
だから・・・Off The Mat というイベントの最終型をイメージしつつ・・・
参加者が育つのを待ち・・・
ふさわしい、出展者や出演者との出会いを待ち続けた。。。
なぜならば、自分のアイディアや自分自身が主役ではないからだ。
よく、チャリティとか、ボランティアとか、誰かの為だとか、みんなをまとめるとか、
第三者の為とか言いながら、主催者がスポットライトを浴びようとするイベントがある。
イベントの○○の為というのを置き換えたら、何回でも開けるイベントだ。
そして、主催者達だけが自己満足しておしまい・・・
世界という劇場にて誰もが主役になれる。
誰でも主役にできる。
だから・・・参加者が主役になるイベントでないといけないと思う。
主催者以外が主役になるべきなのだ・・・自分から前に出るものは押し込まれる・・・
辛抱により自分自身は誰かに上座に上げられるのを待つことが大事なのだ。
これは禅の教えだけど、的を得ている。
主催者は、参加者(主役)達がイベントという世界で、何かを感じ、学び、楽しみ、興味をもち、
自分が主役になっていいんだ、自分の中には、素晴らしい大いなる存在があることを再認識できる、
そんなイベントが出来たらそれは最終型といえる。
まぁ、自分は縛られずいたいから、
どこかに固定でいるという事が限界を作ってしまう気がするだけだけど・・・
いつまでも、スポットライトを浴びる事無く、最終型を目指したいのだ。

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