ヨギーな京都の旅「絡南東」編①

去年(2014)の大河ドラマの影響で京都へ…
京都旅のテーマは「太閤秀吉」。
豊臣秀吉公が死後に天皇より神として祀ることを許された豊国神社と方広寺へ…

豊臣秀吉は京都の繁栄にそうとう協力したみたいで、当時の地元人気は凄かったようです。
応仁の乱の後…廃墟と化していた街に
お金をバラまいたんだから英雄だったでしょう。

江戸時代は鎖国で質素倹約だったから、
戦前のバブル時期はこの頃だったといえるのかも。

境内を石垣のように囲んでいるのは、秀吉が諸国の大名に命じて集めさせた巨石を組んだので太閤石垣と呼ばれています。

この場所に20m級の大仏があったっていうので凄いです!!

1586年に奈良の東大寺より大きい19メートルの大仏を飾るために作られたという。しかし、10年後の地震で崩壊してしまいます。

後に息子の豊臣秀頼によって復活したのだけれども、今に残るのは、大阪冬の陣の原因となった梵鐘のみ。1614年に秀頼が作ったもので、日本3大梵鐘の1つに数えられている。

この鐘を作ったことで大阪冬の陣の開戦の理由に使われてしまった。。


こんなに小さな文字だったとは!!

鐘の裏には淀どのの顔が浮かびあがってた!怖っ!!

京都は歴史が長いから、
時代や人物をしぼってその所縁ある
場所だけをめぐる。

そうするだけで、
その時代にリアリティがうまれてくる。
我々に必要なエッセンスは、
リアリティなんではないだろうか?

そんな、太閤秀吉の所縁めぐりの絡南東エリア編は続きます・・・
(→ヨギーな京都の旅「洛南東」その②へ続きます)

【洛南東エリア】
「フォーカス時代」→室町時代末期〜安土桃山時代

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