ヨギ的社会の見方②(ヨガの先生はいい人なのか?)

ヨガのプラクティスに専心し続けること。
そのようなプラクティスの先にこそ
クリアなマインドがもたらされると言われています。
これをもっと曖昧な表現にすると、
「浄化」がもたらされるなどで表現されています。
そういった浄化をいつもしているヨガの先生達は、
常に良い人という印象をもたれている気がします。
 月とヨガ
よく思われていることなのですが、
「ヨガの先生なんだから聖者のように振る舞うべきでしょう・・・」
なんていう意見を耳にしたりします。
ヨガの先生なのに嘘をついていたとか、
ヨガの先生なのに恩を仇でかえされた・・・
など文句を言う人がいます。
その方には、「ヨガの先生=いい人」でなくてはならないという
固定概念が出来ていたのでしょう。
ヨガの練習を完全に終えた人は確かに聖者のような対応をできる人なのかもしれませんが、我々ヨガインストラクターはまだまだ自身のプラクティスを頑張らないといけないほど不完全なのです。
というより、
そんな完全なような人がいたら、
逆に怪しい先生だと疑うべきです。
自分に言わせれば、ヨガをしてようがしてなかろうが、
「いい人」の印象を与える人も「悪い人」の印象を与える人もどちらにもいます。
人は誰でも周りの出来事から影響を受けて生活しています。
自分が持っている固定概念の影響もあって多くの情報が「ありのまま」ではなく自分の都合の良いように変えられたり、またはビジネスにとっての都合の良い情報に変えられたりして我々の印象に入ってきます。
多くの出来事を事実のままに受け取ることができるようにするためには、
自分のマインドをクリアな状態(浄化)にする必要があります。
まさにヨガのプラクティスが重要なのはその部分だったりします。
マインドがクリアになってきて自分自身の状態が冷静なると、
視野が広がり今度は世界が広がります。
自分と周りの人々との関係、職場の人々との関係、
社会との関係性がクリアになっていくのです。
自分自身がクリアになってくると、
今まで気にもならなかったあることが無関係ではなくなってきたり、
今まで気にしていたことがどうでも良くなってきます。
ある意味、
新たな気になる問題ごとや不安があらわれるのですが、
それらがどんどんまたクリアなマインドで解決されていくのです。
そういったこともあり、
ヨギたちは彼らの性格が良いか悪いか関係なく、
自分自身をクリアな状態に保つことに精をだしてきました。
その上で、周りとの関係性や社会性などをみつめ、
ほっておかれたおかしな状態を改善したり、
社会やメディアからのまやかしから逃れていったというわけです。
と、もっともらしいことを言っている自分自身も、
経済学者は経済を正しく導くために
勉強している人だと昔は思い込んでいました。
ヨギが素晴らしい人だという錯覚と同じです。
ある時、自分の思い込みに、まさに、その間違いに気づきました。
経済学者は、経済に関する知識や数字を扱ってお金を稼ぎ、
そのお金で家族を養い、生きている「労働者」です。
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ここで、
「労働者」という言葉を悪くとらないでください。
ヨギ的には、バガヴァッド・ギータ的には、
すべての生きとし生きるものは、何かに専心すべき「労働者」なのです。
労働(働くこと)については以前に、
ある経済学者は知識を伝えることで、すなわち教育で稼ぎ、またある者は企業や国にとって都合よく見えるデータや理屈を広めるテクニックを説明することで稼ぎます。稼ぐとは、労働によって対価を得ることです。
彼達、経済学者が「良い人」であるか「悪い人」であるかは関係ないのです。
買い手があれば、その知識を望む形で販売するだけなのです。
クリアなマインドで持ってヨギ的に社会を見る場合は、
その人が良い人なのか?悪い人なのか?
ではなく、誰のためにデータや説明をしているのか?
その目的は何であろうか?
を見通していくことで真実へと到達できると思います。
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食品関係などでも多くの都合の良いデータが見せられて
宣伝されています。
何が自分にとって必要なのか?何が自分に不必要なのか?
人気や流行りに流れることなく、
人もニュースも一歩引いた目線で関わることができるために
必要なヨガのプラクティスを続けることが大切ですね。

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