映画『ジョーカー』について語る。

最近のバットマンBEGINの3部作は素晴らしいかったのを覚えている。
暗黒のゴッサムシティで、幼年期に条件づけとなる傷(サンスカーラ)を刻んだ少年が、どの様に傷を乗り越えてヒーローになっていくかを精神面から描写していた。
この映画『ジョーカー』は、それの逆パターンであると思った。
どのように闇が誕生していくか?
この映画はさらに、2019年という時代を映し出しているようにも見えた。

今がどんな時代か?

損をするか、得をするかが、すべての価値観を決めてしまい、得をする為に何をしても正義という悪性を明らかに持った国家指導者が世界中でリーダーとして君臨している時代だ。

アメリカ国民ファーストという正義の為に環境問題は無視、戦争を始めてしまいそうな脅しは平気でする、過激な非難と中傷で言葉の暴力を振るいまくるトランプ大統領。

官僚や妻をを巻き込んでの不正と揉み消し、大企業や企業団体優先の国家運営と、官僚との忖度関係で真っ黒な安倍晋三内閣。
こういっためちゃくちゃな病んだ社会の闇が、どこかで確実に子供達の精神に傷を負わせているぞという警告の映画なのだろうか?
そういった病んだ社会に生きていることを実際には知らない大人は多いが、感覚として気づいているからこそ、ジョーカーの誕生はリアリティがあって寒気を起こさせるのだと思う。

損得だけでいきている人々。

認めてもらえない、存在を否定されていると感じてしまっている人々。

いばらの道を歩いて病んでいるのに、綺麗でピカピカの靴で幻覚をみて健康のつもりで歩いている人々。

痛み止めと酒を飲むこと無しには耐えられない人々。

すべては、まやかし(マーヤ)なのだから苦しいわけだ。
ジョーカーはたびたびスッキリする。
まやかしではなく、リアルを垣間見る先には苦痛のない瞬間があるのだ。これは一種の悟りだ。サマーディだ。

臆病な自分は、この映画に登場する全ての人々にハグをする自信はない。カオスで混沌としていた苦しい時代に笑うしかなかったという経験をしているだけに、むしろジョーカーの気持ちに痛いほど共感してしまうのだ。

映画の途中で、マイケル・ジャクソンが何故だか浮かんだ。
声なのか?チャップリンの映像のせいなのか?
マイケル・ジャクソンは、この混沌とした損得だけの商業主義の世の中を浄化しようとして、逆に社会の闇に抹殺されてしまっあ人だから浮かんだのだろうか?

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この映画に登場するような、支配する側の人々や底辺扱いされる人々は、どちらも関わらないようにしている人間だ。
お前は逃げているのか?

そんな声が聴こえてきた。そうだ。絶対に自分が正しいという幻に支配された人々に気づきをもたらす自信がないのだ。歴史がそれを実行できないと証明している部分もある。

最後に感じたことは、超越した気づきの高揚状態には、道徳は関係ないかもしれないという恐怖感だ。
未知の存在にはそんなことがあり得るかもしれないという恐怖と、自分が練習によって超越した気づきと向かう時にはそんな風に見られてしまうかもしれないというダブルの恐怖を感じた。
次の日に、ヨガの指導をしながら、あることがふと浮かんできた。これも大事なポジションなのかもしれない、と。得をすることや楽をすることへと向かう不幸な人々を、損することを受け入れることができないせっかちな人々へと忍び寄る闇から守ることも立派なことではないか!
ヨガの練習による真実を見極める観察・考察眼によって、文章だけでもメディアが、メディアのスポンサーの大企業や官僚や政府が、事実を都合よく見せ方を変えていく闇から人々を守れるではないか!!
と、自分自信に言い聞かせ、少し落ち込み気味の自分を励ましながら今日も頑張って行こうと思います。

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