社会学から瞑想、そして瞑想から社会学へ・・・

ある時からか・・・
睡眠以外の18時間を、いかに完全に、フルタイム&フルスロットルで、意識して過ごすか?
という事が自分の中で重要になっていることに気がつきました。

「死」という存在を意識する事が自分を活かしてくれているような気もするし、
または、ヨガの練習がそういった状態を保てるように自分を導いてくれている気もするし、
両方による効果かもしれないです。

アシャタンガヨガのパッタビ・ジョイス氏の孫であるシャラート氏の来日を何度かオーガナイズさせていただきました。

何年か前にシャラート氏へのインタビューをセッティングさせていただいた時に、
アシュタンガ・ヴィンヤサヨガで特に呼吸法や瞑想法をしないのは、
ヴィンヤサシステムによってサマーデイ状態で練習後を過ごせるようになっているからだという説明がありました。

その説明にはとても納得です。

毎日の正しいプラクティスで十分に明瞭な状態で生活できて、目の前のことに完全に意識を置いて生活できるわけです。
とはいえ、自分はもう一歩深い場所でたたずみたいと思ってしまうので、
呼吸法や瞑想法にも興味を持ち、ヴィンヤサに加えて実践してきました。

実際のところ、自分が今まで見てきたアシュタンガ・ヴィンヤサヨガの素晴らしい先生達は、
ヨーガ・スートラの学習や呼吸法や瞑想法を学び、そしてヴィンヤサに加えて実践している人でした。

今から10年くらい前の2010年ごろでしょうか?
ヨガスクールMySOUL8で、ヨーガ・スートラ講座を長く開催していただいていて、
社会学者で大学で宗教社会学を教えている伊藤先生から、
素晴らしい瞑想の先生がいると紹介をいただいたのが山下良道先生です。

禅寺で仏門の道を歩みながら、アメリカでZENを普及したり、
ミャンマーで小乗仏教の瞑想法を徹底的に修行してきた方です。

最近ではヴィパッサナーとかマインドフルネスとか呼ばれているやつですね。

ヨガをストレッチだと思うのと同じように、
ヴィパッサナーやマインドフルネスが簡単なメディテーションだと、
残念ながら世界では広まっているように感じます。

伊藤先生から紹介をいただいてから、山下先生からは名古屋に毎年何度も足を運んでいただいて、
MySOUL8の会場を使っていただきながら、リアルな瞑想会を開催してきました。
その間に、良道先生は何冊も本を出版して、どんどん日本中で有名な瞑想指導者になっていったわけですが。

一昨年の2018年に、自分がヨガ指導を乗客の皆様にしているピースボートのアジアをまわる旅に参加した時に、
教養を深める講師として水先案内人と呼ばれる講師の1人に宮台真司氏という方がいました。

宮台さんは、まぁ、ぶっとんだ方で、船の中で講義を聴いたときには、
頭を金槌で叩かれたような衝撃を受けたのを覚えています。

ピースボートの旅が最高なのは、こういった凄い方々と船の中で過ごすからであり、
自分もスタッフの一員として、こういった水先案内人さん達とありがたいことに仲良くさせていただきました。

アジアンクルーズの時は特に、この宮台真司氏と安富あゆみ氏に衝撃を受けていました。
どちらの先生も著書を全部購入して船の中で乱読していたぐらいです。
(ピースボートの中での、読んだあとに本の著書と語れるというのは夢のような環境なのです!)

実は、このあたりで、世の中に社会学習という存在がいるのだと意識し始めたわけです。

ヨーガスートラ講座の伊藤先生も、そうだった!
宗教社会学じゃないか!と、いう具合で意識するようになりました。

ピースボートの船の中で、本当に色んなお話をいただき、宮台真司さんが水先案内人を終えて下船する時に、「是非っ、この本読んでみて下さい!」と、宮台さんにお渡ししたのが、山下良道さんの「光の中のマインドフルネス」という本でした。

この驚異的な頭脳明晰な方が、社会をマインドフルネスの観点から観たらどんな景色になるのかな?
という好奇心から、とっさにプレゼントしてしまったわけです。

それから、1年半が経ち・・・
落合陽一さんという方が司会をするWEB番組があり、そこで山下良道先生がゲストで出るというので、番組を観てみると、別のゲストに宮台真司さんがいるではないですか!!

まったく異なるルートで自分がお会いした2人がゲストとして番組で会話をしているという、なんとも不思議な光景でした。ピースボートで宮台さんにプレゼントしたマインドフルネスの本の影響なのか(勝手な思い込みです!)、番組での皆さんの会話も和気あいあいとしていたように感じました。

そういった異文化交流の影響がある中で、山下良道先生の瞑想会がMySOUL8 YOGA School で1月に開催されたわけです。(2020-1-25)

タイトルが、『20/01/25 どんなにスペックを上げても抜けられない「スペック地獄」が、いま消える』でした。
https://www.onedhamma.com/20-01-25-どんなにスペックを上げても抜けられない「ス/
宮台さんの著書を読んでいると、いくつかのテーマがあります。「法外へといくすすめ」、「なりすましのすすめ」など、社会学者としての目線で現状の社会からどのように人々のマインドが正常なものへと行くべきかを観察した上でのテクニックです。

山下良道先生の瞑想会の法話のテーマが、宮台さんのお決まりのテーマからの「スペックを上げても意味がない」というテーマでの法話となりました。
このテーマはある意味自分の基本思想ともなっていて、何度もこのブログ記事でも登場しています。

スペックとはパソコンとかの電子機器で機能を表すときに使う言葉で、[speification:機械などの仕様]、その機械の規模・構造・性能などをまとめた表などで表すことが多いです。この機械に使う言葉を、人間に使っているわけです。
人の性能、機能は、「役に立つ」とか、「役に立たない」とかでスペックとして判断されます。そして、自分自身もどんなスペックがあるか?どんな外観か?どんな性能があるか?どんな資格をもっているか?どんな学歴か?どんな肩書きか?どんなスペックが必要か?
そんな、スペック争いが劣等感や優越感を引き起こして「苦しみ」を誘発しているのが現代というわけです。
世間を見渡すと、マインドフルネスを紹介する人や講座が山ほどありますが、殆ど役に立たないのは理由があるのではないでしょうか。
このスペックを高めたいと望む立場から瞑想をしても何も得ることができないからです。
良道先生が言いたいことは、スペックを、高めたいというマインドを「私」と思っている状態で瞑想に挑んでも何にも到達することはできないと言いたいのだと思いました。
その意味に置いては、ハタヨガの必然性がそこにあり!って感じだと自分は思ってます。
ハタヨガの根本的な8つの技であるアシュタンガ(八枝則)の「ディヤーナ」は瞑想法と訳されますが、後半である7番目の技に存在しているのは理由があります。
瞑想法(メディテーション)をすれば瞑想ができるのではなく、瞑想状態になると瞑想(メディテーション)が開始できるという矛盾のような事が起こっているわけです。
その瞑想状態(すなわち、スペックに捉われない状態)になる為にアシュタンガの6番目までの技があると思っています。
古代(ゴーダマ・シッタールダ氏がいたような時代)においては、いきなり瞑想状態になれる人もいたかもしれませんが、環境が随分違う現代においては、無理です。スーパーアスリートの方々や、格闘技家の方々などは違うかもしれませんが・・・
スペックを競うマインドで瞑想しても仕方がないとはっきり言える良道先生は素晴らしいと思いました。
自分の指導の立ち位置は、素晴らしい瞑想指導をするより、瞑想状態へとアーサナやプラーナーヤーマで導くことに重点を置いているので多くを語りませんが、瞑想のプラクティスで辛い思いだけはして欲しくないな、と願うばかりです。
MySOUL8 YOGA School が始まって15年近く、素晴らしい方々との出会いに恵まれてきました。多くの方々から直接、または、書籍や動画から学んで、知識をアップグレードすることができているのは嬉しいです。

一昨年の「プラーナーヤーマ集中」から、オーストラリアでのイマージョンlevel2. とlevel.3.を経て、グレゴール先生のハタヨガの瞑想集中講座に週末から参加しています!(2020-3-19)

普段から適度な練習を毎日して身体を気遣っていると、
どれだけ世の中が騒がしくても落ち着いていられます。

今日も明日も学びが深めれる生活に感謝です。

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