私は社会を批判する。

あえて批判する。
もしかしたら、傷つく人がいるかもしれないが、批判する。
特定の人を傷つけるよりよっぽどいいと思う。
問題は、自分も傷つくということだが、そのための強さだ。
○×社会を批判する。
テレビ番組を見てても『問題』→『回答』というのばかりだ。
すべてのことに答えは1つじゃない。
昔、数学にはまった。答えが1つだからだ。
分かりやすいし、そこに純粋さがあった。すなわち、心に易しかったのだ。
途中で気づいた。でも、答えは2つあると・・・・
解答欄に答えを書くか、書かないか?
センター試験はボイコットした。
名古屋の国立大学に入りそうになったので・・・
将来は安定するかもしれないが、旅には出れない・・・
小学校の時のテストで白紙で回答した。その後、怒られた。そして、その場で
もう一度回答されてくれと・・・10分で解答欄は埋り、満点だった。
そして、先生に言った。
「回答するのは自分の仕事だけど、回答させるのは先生の仕事。」
回答させるための作業をサボっているよ、っていう合図を自分なりに送ったつもりだった。
その後、その先生は学校を辞めた。
自分のやり方が幼かったのだ。
自分は社会を批判する。
答えは1つじゃない。 答えが1つだなんて楽な世界にいるのなら、麻酔を打って無痛で生きればいい。
それが答えだ。
「じゃあ、私は間違っているのか? 間違っていたのか?」
違う!
「正しかったし、間違っていた」
そして、
「今、より正しいものへと近づいている」
世界は変化に満ちている。今は間違っていても、100年後には正しいかもしれない。
みんながしているからと言って、正しいわけじゃない。
みんなが食べているからといっても、自分はアレルギーかもしれない。。。
自分だけが楽しめることがあるかもしれない。
周りの幸せを求めることが、自分の幸せを高める方法かもしれない。
エゴは抑えないことが、一番の抑える方法かもしれない。
失敗が成功の元かもしれない。
人の喜びを感じることで、シェアすることで自分も頑張れるかもしれない。
今いる場所から少し離れることで、今いる場所がより見えてくるかもしれない。
自分は自分じゃないかもしれない・・・
我々が自然を見ているのではなく、自然は静かに我々を見ているのかもしれない・・・
そろそろ、みんな感じているのかもしれない。
感じ方を、世の中の見方を、視野を、世界を変えないといけないと・・・
でも、どうやったらいいかが分からない・・・
社会はそれを促していかねばならない・・・
江戸時代のような寺子屋が必要なのかもしれない・・・

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