自分の瞬間に目を向けることで、日々自分が変わっている瞬間を見つけることが出来る、
これは素晴らしい、感動だ。
* 00:25 いつからか人を励ます時に肩を、背中をさするようになった。
自分自身があれほど人を拒絶し触れることを拒んでいたのに… »»
* 00:31 感情は動物の中で人だけが持っている物だと言っていいだろう。
動物達に見られる怒りなども恐怖などの本能からくるもので人の感情とは違う。
涙は人だけが流すのだ。
いつから感情が眼に作用するようになったのだろうか? »»
* 00:39 感動が涙に。恐怖が涙に。哀しみが涙に。喜びが涙に。抑えきれない、
感情が5感を表現する作用機関の1つに働きかける眼に作用するのは何かいみがあるのだろうか?
眼は色を取り上げる機関なのだが、色と感情は関係あるのか?目の見えない人は、
感動したら涙はでるのだろうか?満月は夜中の思考を満たす »»
小さい頃より感受性が豊だと人からよく言われていたのを覚えている。
感受性が豊とは、5感(見る、聴く、味わう、におう、触れる)ことにより周りの環境を
読み取る能力のことだ。もちろん、読み取らないとやっていけない環境だったということもあるけど、
何よりも恐れていたのは逆に読み取られることだったのかもしれない。
それほど、ネガティブな塊を持っていたのかもしれない。表面ではそれを包むことはできても、
触れられると表に出てしまうのを知っていた。
だから、触れるということに対して何か拒絶感があったのだ。
触(ふ)れるというのは、ただ触(さわ)るのとニュアンスが違うのだ。
5感の1つであるように、何かしらの情報が行き交うのだ。
屈託なく周りに笑顔を振りまき、周りとの境を少なくしている人を見ると羨ましく思えるけど、
外に出る分、無制限に受け入れているわけでもあって、それはそれで苦痛なんだろう。
そう、自分自身から出てくるものとして涙もある。人前で泣ける人、泣けない人。
男子は涙に対する美学があり、女子は涙に対する化学(化粧)がある(笑)。
なんて、思いつきで名言的なものをかってに作りましたが、涙とは不思議なものだ。
涙とは眼球が乾かないように目の周りをグルグル流れているものだと思うんだけど、
感情が表に大きく現れるとともに目という器ではキープしきれなくて溢れ出る。
以前、飛行機の中で見た映画に感動して、号泣したんだけど、隣に妹が座っていて
恥ずかしいので、反対側の片目だけ泣いたことがありましたが、これは美学ではないか。。。
もともと、動物的観点からいえば、涙は感情により溢れ出るものではなかったものなのだ。
最近は感情はどのように分類できて、どれを人だけが持ち、どれを動物も持つのか調べたいと
思っているのだけど、なぜ? 眼が、涙が、感極まる結果の産物になったのかが不思議なのだ。
実際に、涙が出てくるのは眼のようで目ではない。目の縁にある涙腺からだ。
決して感動すると目が乾燥するから涙がでるわけではないだろうし、不思議なものだと思うのだ。
そして。。。年齢と共に涙腺のカギは開きっぱなしになる。。。これはなぜだろうか?
検索で答えを探すのでは、満月の夜には粋でなかったのだろうな・・・
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おはようございます。トラックバックさせていただきました。今日も素敵な一日を…。
yumi