私の師

ヨガヨムSNSでの1月の日記の1部をこちらに移しています。。。
先週末(1月の時)のスポーツクラブでのヨガレッスン。
終わってから生徒さんに言われたことがある。
彼女はずいぶん高齢なんだけど頑張って参加してくれている生徒さんだ。
こないだも公園で偶然会ったときに、
「先生はもうジムで教えないんですか?先生のクラスはきっついけど、
あれで頑張ると元気になれます~!」
そんな嬉しいことを言ってくれる生徒さんだ。
こないだのクラスの後で・・・・
「ご飯を食べてから参加したらダメですね~全然身体が動きません・・・」
「来週からは空腹で参加します~」
このような会話をする時にいつも自分が言うのは・・・
「とうとう身体と会話しましたね~」
「自分が教えることではないんですよ。自分の身体が教えてくれる。」
「練習によって、身体が、心が、色んなことを伝えてくれますよ~」
って、話をしたなんてことをマットと話していたら・・・
「そうだよ、練習が最高の先生だ!」
「ヨガの先生はいっぱい教えてくれる。
      でもそれより偉大な先生は、練習だ。」
「両親はいろんなことを教えてくれる。
      でもそれより偉大な先生は、練習だ。」
「練習はユニヴァーサルティーチャーだ!」
と、ハイテンションで言っていた。。。。
ユニヴァーサルティーチャー・・・・
自分に師がいたことに気づいた。。。
多くの人がアシュタンガはつまらないと言う
(同じことの繰り返しなのでか?)。
それは自分がつまらない人だといっているのと同じだ。
ユニヴァーサルティーチャーに出会えてないんだ。
感じれてないんだ。
ヨガじゃなくともいい。自分にとってはヨガが知性への足がかりになりやすいもので、
自分の求める真実を照らしてくれるものだったにすぎない。
練習を続けることが多くを気づかせてくれる。
自分が感じ気づくことができる。 霊媒師のような占い師に教えてもらうことではない。
きっかけはあっても、自分しか自分を治す力を引きだせない。
知性を輝かせる為の知識はあったほうがいいが、絶対必要ではない。
これを読んでくれた人は、「うんうん。」って思うかもしれない。
でも、宇宙から地球を見た写真をみても、「へぇ~」って思うかもしれないけど、
その感覚は「うんうん。」とはならない。。。
頭の片隅にあると・・・・「そうか!」ってくる日があるのかもしれない。
それは、ある日にやってくる。
あせらなくとも、忘れたころに・・・

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