多くの人達と話をしていると、
会話の中で「私は無知だから…」とか、「何もしらないんです…」と言う人がいることがある。
『無知』というと何も知らない人と思われがちだけど、実際はもう少しニュアンスが異なる。
簡単に言うと…何かを知ったときに、
ある一面しか知らない、ある一面しか見ることができないことを『無知』というのだ。
例えば…
ものごとを良く知ってそうな人と話した時に、知らない単語がいっぱい出てきて何を話しているのか全然分からない…という時がある。
この時に、その話しているのが何かの専門家だったら、私が知らなくとも関係ないや…と、気にもしないだろう。
しかし、これが友達や親しい人だとすると、私は何も知らない!教養がないんだ!と、怒りがわいてきて自分を攻めて、周りに、「私はバカ(無知)ですから…」と言ってしまう。
勝手に比較して、自分と周りを比べて勝ち負けを競っているのだ。
そして、知らない負けた自分を嫌っていく…本当は知らなくて何にも困らないし、ちょっと冷静になって、その知らないことが何かを質問して知ってしまえば、おしまいとなる。
元々必要ない知識だったから時間と共にどうせ、すぐ忘れるのだ。
色々なことを知っている人にも問題がある。知識をさらけだしたい、その知識を持ってない人を上から見下ろして優越感を味わいたい…などが理由の場合がある。
エゴはエゴを惹きつけるのだ。
表面的なことを山ほど知っていても、
干からびた心は満たされない。
自分自身と深く関わる事で、
生活や仕事、趣味で登場する目の前にある物事を良く知ることができた時、
自分は「無知ではない」と言えるのだろう。
と言っても趣味や興味と向き合うのも大変だからピンとこない人もいるだろう。
やはり、生活に良く関わる知識と言えば、「食」に関してではないだろうか。
さらに、分かりやすいのは「食品」
などの例で、我々は「パン」という
完成された「食品」を知っている。
それがコンビニに売っているのも知っているし、パン屋さんにも売っていることを知っている。
では、何故に、袋に入っていて、いつまでもパン木地がフワフワなのか?
どうして1年ぐらい常温で置いておいても見た目が変わらないのか?
どうして、表面はいつまでもサクサクして香ばしいのか?
我々は、何にも知らなかったりする。
便利で、簡単に手に入って、美味しいパンだということは知っているけど、別の一面は何も知らない。これこそを「無知」と呼ぶのだと思う。
ビジネスには、人々の「無知」を利用する物と、していない物がある。
1つのものをゆっくり丁寧に見ていくことで、多面的に其の物を知ることができる。無知を利用するビジネスでは、お客さんにあまり考えてもらっては困るから、次々に色んな新商品を用意していつも表面的な部分だけを見てもらおうとするのだ。
色んなモノを手放していこうという断捨離は、手放すこと自体がプラクティスであるけど、残ったモノをよく見ていくのもプラクティスなのだ。
ココにポイントがある。
どうして、人々はモノのある一面しか見れないのか?その一面ですら思い違い、勘違いしてたりするのだろうか?
これが自分のモチベーションだったりする。ヨガスタジオもオープンして8年目に突入するけど、この「心の問題」を解決できるカギがあると信じているからだ。
初心を思い出して「ヨガスタジオ」の目指す所を再確認させてもらいました。
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