YOGAで無差別殺傷事件のない世界へ!

こんなに無差別殺傷事件がおきているのは、
どうしてだろうか?

おぞましい事件のニュースを耳にするたびに
母のおきまりの言葉が頭によぎるのです。

「大学はどちらを出てますの?」

これが母の口癖でした。

保険の勧誘の方と玄関で話していても、
仲良くなった同級生の親と話したときも、
この発言が必ず飛び出て変な空気が流れます。

偏差値だけでその人の価値を判断しているのか?

自分の卒業大学を自慢したいのか?

その真意は分からないけど、
幼いころよりその瞬間に出くわすと
その場にただよう空気が嫌で嫌でたまらなかった
ことを覚えています。

大人になると、この雰囲気を読むのは才能の1つで、
読めない人もいるのだと知るのですが、
幼い頃は読めない人間が不思議でした。
(この才能は後に紹介します。)

母の発言に対して東大出身ですよと自慢されても、
大学行ってないんですよと言われても、
どんな返事があったとしても何も生み出さないのです。

むしろ、相手との会話の受け答えの中から
その知性を測れれないものかと思いました。
聴いてしまったら、測れない人だという証明となり、
残念に感じるだけだったのです。

自分が高校3年生の時、行きそうな大学が決まりそうになっていた時に、
その選択肢は間違っているのではないかという感情が湧き上がった時期がありました。

数学が得意というだけで、工学部に行くという
安直な決断が嫌で仕方なかったのです。

その気持ちの理由を当時は上手く言葉に出来なかったので、
自分のとった行動とはセンター試験をボイコットして国立大学に行かないというものでした。

直感的に何かがおかしいとわかっていても、
その違和感が何かを表現する説得力もエビデンスもない無力な子供だったのです。

英単語を何千と覚えて、テストの点数が取れて何の意味があるのだろうか? 
何千もの覚えた英単語を使って英会話もできないのに、
入試が終わったら全部内容を忘れていくのに、
入試の為だけに勉強するなんて何で愚かなの行為だろうと説明しても説得力も無く無駄でした。

それもそのはずです。

日本の教育は、個人の感情や思いは無視して「知」の量に重きを置くというシステムだったのです。

その結果、ただ何も考えずに英単語や年号をひたすら覚えていることが評価されたり、
難解な数式を使って問題を解くことができるかどうかを評価するようになったわけです。

「知」とは、どれだけ記憶しているかの能力ではないとする研究者もいます。
アメリカのハワードという大学教授が「知」には8種類あるという考えを発表しました。

(1)言葉で表現したり、本を読むことや書くことが好きな人は、言語的知性が優れているといえます。国語、作文、言葉遊び、俳句、駄洒落作り、読書、詩を書く、などを楽しく感じます。

(2)物事の筋道を考えたり、因果関係を見つけたりすることが得意な人が高いのが論理数学的知性です。算数、クイズ、推理、発明、化学、実験などを好きになります。

(3)リズム感や音感がよく、音程やハーモニーを理解することが得意な人は音楽的知性が高いです。ピアノ、音楽、楽器、歌うことなどを楽しみます。

(4)運動能力が高く、身体を動かしているのが好きな人は、身体運動的知能が高いといえます。体操、かけっこ、バランス感覚、身体能力、体幹、スポーツなどを楽しみます。

(5)空間を的確に認識する能力が高く、物事を立体的にとらえて地図などを書くのが好きな人は空間的知性が高いはずです。積み木、レゴ、サッカー、野球、距離感、絵を描くなどを好きになりやすいです。

(6)他者の気持ちや感情を理解し、良好な関係を築く能力がある人が対人的知性の高い人で、その人がやってくると、その場の雰囲気がよくなり、ケンカの仲裁が上手くできる人といえます。会話、聞き上手、人とのコミュニケーションを好きになります。

(7)自分の内面に向き合い、思索したり、表現したりする能力が高く物事をじっと深く掘り下げて考えるのが好きな人は、内省的知性が高いひとでしょう読書、創作、絵を描く、作曲などを好みます。

(8)自然について理解したり、識別したりする能力が高く、動植物に関心が強く、小動物や植物を観察したり育てるのが好きな人は博物的知性が高い人です。医学、生物学、動物、生き物、昆虫、飼育などを好きになります。

これらの8種類の「知(才能)」のポイントは、感情、気持ちを大切にしているところにあります。
好きで楽しく感じることならば、学ぶことも楽しくなり、様々なことも勝手に覚えていくのです。

今から20年以上も前に「知」について感じた違和感は、
学ぶ楽しさや興味や好奇心を育てることを根底としてないことだったのです。

好奇心を育てずにどれだけ「知」を頭という袋に詰め込んでも、
その「知」に対して誰も振り返ってくれなくて、結果的に自己肯定感も育ちません。

20年が経ってインターネットが普及したことにより、
頭の中が空虚に満ちた自己肯定感の低い人々の活躍が始まります。

SNSでは顔が見られないのを理由にネトウヨという、
匿名の誹謗中傷ばかりを繰り返す人々ばかりになります。
最近のリサーチで、このネトウヨと呼ばれるインターネット上のハードクレーマーは、
大学以上の学歴で会社でも部長クラスの人々が意外と多いことがわかりました。

医療と薬のおかげもありますが、若者の死因の第一位は自殺で、
自己肯定感の低さが理由と考えられます。

独りで亡くなるのが寂しい人は周りを巻き込んで死のうとする傾向があり、
街中や学校での無差別な殺傷事件、または、安倍晋三天誅事件などを引き起こしています。

ニュースに流れる数々の殺傷事件の犯行理由が無知で起きているのではなく、
「意味のない知」によって起きていたのです。

何に心が湧き上がり、何に興味を持って、熱心に打ち込みたくなるのか?

その好奇心を満たすために、
知識を増やしていくことが喜びになります。

その喜びの先に仕事やライフワークが我々の登場を
首を長くして待っているのです。

誰とでも簡単に入れ替われるような便利な人は
1人も本来いないのです。

戦後70年以上が過ぎ、
我々は本来の姿に戻る必要があります。

ヨガで身体性を取り戻して、心を育てるのです。

心を取り戻したら、社会が変わらないはずはありません!!
無差別殺傷事件が無くなるという理想すぎる社会になるのです。

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