ヨガのティーチャートレーニングに参加する人達。

今年の夏に弟が上海でヨガのティーチャートレーニングに参加した。
インスパイヤーというオーストラリアのティーチャートレーニングを
チームで組織している人達のに参加したようだ。
数年前にヨガジャヤのパトリック先生もRYT500時間に参加していたはずだ。
そのスタジオのサイモン・ボルグ(だったかな?)はヨガジャヤのTTのメンバーの1人になっているはずだ。
まちがいなく、今のヨガジャヤのTTの原型となっているものに違いないと思う。
テキストやTTの内容を聞くと良く出来ているし見ていて面白い。
自分が行なっているTTの為になるか?というと・・・
自分でいうのは何だけど、日本人には完成されているだろうと思われるものを作り上げてしまったから
あまり参考にならないといえる。
まぁ、ティーチャートレーニングといってもヨガの基礎となる部分を200時間だけ習うものなのだ。
そして、重要なのはその内容をどう習うのか?どの過程で理解と実践を踏んでいくのか?なのだ。
すぐに楽にインストラクターになれてしまったり、人数だけやたらと多かったりのものとは比べる次元が
違うのでこういったTTに参加したことがある人達にしか分からない感覚の話はするべきではない気がする。。
それより興味を持ったのは上海のTTに参加している人々だ。
やはり人という変化のあるものは面白い。
TTの値段は日本のように50万も60万もしないけど、中国の人にとっては高いはずだ。
けど30名近い人々が参加しているのだ。
日本人も弟を含めて3名ほどいたらしいけど、残りの半分は上海の人々、そして残りは他の都市からの参加らしい。
中国では教育が偏っているので、バレエダンサーを目指していた人、体操選手を目指していた人、
武術者を目指していた人、など一点集中の人が多いようだ。
何かに優れた人を作ろうとする英才教育だ。
10億もいれば何かに集中しないと職を手にしたり出来ないのだろう。
ヨガのティーチャーを目指す人にはやはり、ダンサーだったりバレリーナだったりする人が中国では多いらしい。確かに、アシュタンガのティーチャーのニアとかも元々バレエをしてたし、短期間でオーソライズされる柔軟性を元々もっているのはある意味才能だといえる。
弟の話を聞いていると面白い。
彼等はTT終了後、ヨガで稼がないといけないのだ。
だから、TTの技術でもその為に必要と思われる部分に関しては目の色が変わる。 
逆に必要ないなと思われる部分(先生でもない生徒さんが自分の判断で決めているところがおもしろい!)では遅刻したりさぼったりが頻繁にあるらしい。
日本だったらヨガなんだから倫理観的にいいのか? とか、
先生に対して失礼じゃないのか? とか言う人がいるかもしれない。
まぁ、態度、行動は巡り巡って自分に帰ってくるだけだから自分は何も言わないけど。。。
あるヨガの先生に、ヨガの先生はどうしてそんなに大阪や東京や全国にワークショップしに行くんだろうか?
特別に広めたい流派や特別なスタイルでもないのに。。。
って話をしたら、ヨシはヨガ界で有名になる必要がないから分からないよ。って言われたことがある。
確かに、上海のTTを受けている人達の話を聞いていると日本にはないアグレッシブさがある。
流派やスタイルやその地域のヨガをする人々のためという大義もない、
自分の名前を持ち上げるためのアグレッシブさと似ている。
スタジオの方が有名になってくれたらスタジオの講師達が喜ぶだろうな。。。
というのはあっても、個人の名前が有名になるのにはあまり興味がわかなかったりする。
ブログなどもヨガに関して読んだ人が新しい楽しみ方を見つけてくれたらいいな。。。
とか、自分のレッスンに参考にしてくれたらいいな。。。ぐらいだ。
もちろん、多くの人に説得力を持たせたかったら、自分自身の認知度をある程度あげる必要があるのも分かる。
アグレッシブな人は時にまぶしいぐらい輝いているのだ。
(メリットとデメリットをどちらも持ち合わせているけど。。。)
と、同時に、
禅の言葉じゃないけど、本当に輝いている人は自ら前にでなくても周りが前にどうぞどうぞと、
きづけば上座にいるようになっているのだ。。。
どちらの道を進んでもティーチャーであることには変わりない。
個人の個性を大事にしつつ、自分の練習も大事にしつつ、
教えるための練習もしていかないといけない。
何はともあれ、学びの場所という雰囲気がやはり好きなのだ。
そこに浅はかな欲望や、矛盾する希望が結果としてあったとしても、その過程は純粋なものなのだ。
TTの話を聞いていて心地よい。。。

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