今年ももう3月ですね!
今月の自分のクラスのテーマです!
月末に来るジュール(jules)のオープンクラスも同じテーマでヴィンヤサクラスがされます。
さぁ、全国のハタヨガ(ヴィンヤサスタイル)を教えるティーチャー達もクラスでこのテーマを
表現してみましょう!!
(ラーダ・クリシュナ・サットサンガ)
Radha-Krishna-Satsanga
When the current of your mind moves through the senses toward the outer universe, that is to say, toward the sensory universe, then this current is called dha-ra. And when the current of the mind moves above the third eye toward your inner world and the loka (location) of Brahman, the loka of Absolute existence, then this current is called ra-dha, the reverse of dhara.
あなたのマインドの流れが感覚器官を通して外的世界に対して、すなわち、知覚世界へと動く時、この流れは ”dha-ra”と呼ばれます。 そして、そのマインドの流れが上方の第3の目におけるあなたの内的世界、ブラフマンの(絶対的実在の:プルシャ)空間へと向けられる時、その流れをダーラの反対となる、 “ra-dha” と呼びます。
註)マインドとは思考器官:マナスを指しているのだろうか?そして、感覚器官とは眼・耳・鼻・舌・身が受け取る感覚を指す。その知覚が内的世界へと向くとは動きの展開がプラクルティ(自性)へと戻っていくことを指しているのか?すなわち、プルシャへ意識を向ける作業なのか?
If you divide your forehead into three parts-the middle part, below the middle part, and above-then below the middle part is the universe of the senses. The middle part is called the third eye, the mythological seat of the trinity, Brahma, Vishnu, and Shiva. Above that is the loka of Brahman, Absolute I-AM, Absolute existence, Sahasrara chakra. (Brahma and Brahman are two different things: Brahman is Absolute existence, while Brahma is creative intelligence, part of the trinity.)
もしも額(ひたい)を3つの部分、中間部、その下の部分、そして上の部分へと分けるのなら、その下の部分がこの世界(感覚器官(5感))に相当します。 この中間部分は第3の目(3位1体、ブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァの神話の内在する場所)と言われています。 その上位の部分は、ブラフマンの世界(プルシャ)、 Absolute I-AM(真我), Absolute existence)、そしてサハスラーラ(第7の)チャクラです(ブラフマとブラフマンは異なったものです:ブラフマが三位一体(トリニティ)の一部である創造的知性なのに対して、ブラフマンは絶対的実在です)。
Due to the out-going current of the mind (dhara), our consciousness passes through various ups and downs in the world of the senses. When we go above the third eye, our consciousness becomes free from all mental ups and downs. Then it is called Krishna. The word krish means “crash” and na means “not.” Thus in that state, we have consciousness free from all fluctuations.
マインドの流れが外的世界へと向けられていく(ダーラ:dhara)ので、我々の意識は世界の5感を通じて浮き沈みをしていきます。 意識が第3の眼の上へと向けられると、その意識は心の浮き沈みから開放されるのです。 そして、それをクリシュナと呼びます。 その単語 “krish” は ”破壊する”で、 “na” は ”~でない” となります。その意味において、我々は意識をその浮き沈みより開放させるのです。
Therefore, Krishna is the state of magnetism for the inward current of mind, Radha. Absorbed in that state, you feel you are pure awareness, pure consciousness, not fluctuating toward the external universe. Your mind becomes transformed into nadam-cosmic music, cosmic energy free from all dualism. In that state, your mind becomes shuyam, zero, devoid of all thought and thinking, full of divine virtue, and your consciousness becomes a mathematical point.
したがって、クリシュナは内向きのマインドの流れ:Radha をひきつけている状態といえます。 その状態に身を置くことにより、あなたは外の世界に向かって展開していない(揺れ動いていない)純粋な気づき、純粋意識を感じます。 あなたのマインドはナーダ音(宇宙音、すべての2元論から開放されている次元のエネルギー)へと波長を合わせていきます。 その状態において、マインドは shuyam、ゼロとなり、すべての考えと考えることのない状態となり、神々しい美徳に満たされた状態となり、そして、意識は正確無比な点へとなるのです。
註)2元論を外と内の世界と見るべきか?変化していくもの(外と内において)の世界(プラクルティ)と普遍なもの(プルシャ)の世界との2元論とみるのか?アナンダアシュラムの流派が(ヨーガ哲学、サーンキャ哲学、なのか?ベーダンタ哲学なのか?)良く分からないので難しいですが、サーンキャ哲学をベースに訳をしています。マインドは心として、思考器官を表すマナスとして・・・コンシャスネス(意識)は、もうすこし幅広く、自我意識(アハンカーラ)、超意識(ブッディ)、など全般的プラクルティからの展開されるもの(変化されるもの)として訳しています。
Thus Radha and Krishna, or shuyam (zero) and the point (awareness), meet together and become one, transformed into non-dualism by means of the music of Krishna’s flute, or nadam. When we experience this, then we feel our Absolute being-ness, which is called Radha-Krishna-Satsanga, the meeting of Radha and Krishna by means of Krishna’s flute. Then the whole universe is transformed into a Rasa Lila, the dance of Absolute God, Absolute I-AM, with the whole of existence.
そのように、ラーダ(Radha)とクリシュナ(Krishna)、ゼロ(shuyam)と気づき(the point)は共に引き寄せあい、1つとなり、クリシュナの弾くフルートの音楽を通じて2元論により構成されない世界(非2元論?)へと展開していきます。 この感覚を実践するときに、我々は完全な実在するものを感じるといいます。それをラーダ・クリシュナ・サットサンガ(Radha-Krishna- Satsanga)と呼び、クリシュナのフルートによってラーダとクリシュナが1つになっていくことです。 そして、全宇宙はラサ・リラ(Rasa Lila:踊りの絶対神、Absolute-I-AM(真我))へとすべての存在と共に形を変えていきます。
Our relative mind is like a deer, restless and always moving, while nadam or the flute of Krishna is divine music. By means of the music, the deer of the relative mind becomes absolutely still. Then we can experience our Absolute being: “Be still and know I-AM.”
我々の完全でないマインドは鹿のようなもの(絶えず、そしていつも動いているもの)で、一方、ナーダ音、クリシュナの奏でるフルートの音楽は神聖なリズムを奏でるものです。 その音楽という(振動を作り出すもの)というものによって、その浮き沈みするマインドである鹿は完全に静かになります。 そして、我々は自分自身における完全なるモノ(大いなる存在:プルシャ): ”Be still and know I-AM (あるがままの状態に静まり、真我と出会っていくこと)” を体験することができるのです。
We can compare the relative mind to a cobra, and nadam is like the music of the snake charmer. You can see the picture of the mythological cobra enchanted by the music of Shri Krishna’s flute. This cobra has six heads-one for each of the five senses and a sixth for the thinking mind. Shri Krishna dances on the head of the cobra with his flute, enchanting the venomous serpent (our ego, our thoughts and thinking) with nadam (inner light and sound), just as a snake charmer entrances his snake. Thus, we can say that nadam is also a wonderful snake charmer, without any exception.
我々は、その完全でないマインドをコブラと比べることもできます。そしてナーダ音はへび使いの音楽のようなものです。 シュリ・クリシュナのフルートの奏でる音楽によって神話のコブラが魔法をかけられている絵を見ることができます。 このコブラは6つの頭を持ちます-5つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身)と6番目は思考器官(サーンキャ哲学でいうところのマナス)-。 シュリ・クリシュナはフルートの音楽で持ってコブラの頭を踊らます。それは、ナーダ音(内側の光であり音)が害をなすヘビ(我々のエゴ(自我意識)や思いや考えなど)に魔法をかけてるようなもの、ちょうどヘビ使いが彼のヘビを音でうっとりさせるようなものです。 このように、どんな例外なしにナーダ音は素晴らしいヘビ使いのようなものでもあるといえます。
When you meditate, you can see and feel and verify this fact. It is your story. When you transcend the third eye, then you feel the meeting of Radha and Krishna, Radha-Krishna-Satsanga. This is your story.
-Shri Brahmananda Sarasvati, excerpted from his book Radha-Krishna-Satsanga, pages 1-3, 1988
瞑想をする時に、この事が分かり、感じることができ、確かめることができます。 あなたのお話をしているのです。 第3の眼への意識が超越する時、ラーダとクリシュナの融合(ラーダ・クリシュナ・サットサンガ)を感じるでしょう。 これはあなたに起こることを言っているのです。
-、シュリ・ブラフマナンダ・サラスヴァティの本:ラーダ・クリシュナ・サットサンガ、ページ1-3、1988からの抜粋です
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はじめまして。
サイト運営をしている者なのですが、相互リンクしていただきたくて、コメントいたしました。
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ご迷惑だったらすみません。突然、失礼しました。
m7bTn3uD